東部インドネシアの旧日本軍航空基地(15) Bandara Dai Nippon(15)イドレ

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第二軍(マノクワリ:司令官は豊島房太郎中将)のイドレ(Idore)転進部隊約12,000名の将兵が、“地獄ヤカチ”そして“野たれヤカチ”と呼んだヤカチ(Yakati)地区---米軍は後に“緑の地獄”と名付けた。この地に、転進作戦前年の昭和18年(1943)2月~8月、海軍ニューギニア調査隊が入った。フェールビンク(Geelvink)湾(現在はチェンドラワシ湾)からビィントゥニ(Bintuni)並びにベラウ(Berau)湾の間に位置する細長いベラウ(Berau)地峡に横断道路を建設するための測量調査だった。
調査結果は、将来の幹線道路として、以下のルートを推奨している。カプルス(Kaprus)村の北側に位置するワイルスモア川を起点に鏡ヶ池、そしてラサウィ(Rasawi)村を経てシンヨリ(Sinyori)村北のヤカチ川の接岸地に至るコースだ。「この路線は将来の地峡横断道路として最良と思考せらるるものにして、路線の状況は総延長70粁に及ぶ」---と報告書は記している。
調査隊は、“急を要する軍用道路”に関しても優良路線を推奨している。それは東海岸のウィンデシ(Windesi)村とイドレ村とを結ぶルートだ。ここには戦前から、長さおよそ30kmの横断徒歩道路があった。「この道は地峡山系の中第2の低部を縫ひ横断するものにして数十年前に建設せられ、ウィンデシよりワリアンギを経て西岸イドレに通じ、総延長約30粁従来地峡横断唯一の通路たりしなり。(中略)イドレはイドレ川(幅約15米水量小)に臨みヤカチと共に西海岸唯ニつの部落として人口約300。附近一帯稍大なる平坦地を有す。満潮時にはイドレ川を遡りて軍用大型発動機艇の出入は可能なるも、干潮時にはカヌーの通航さへ困難なれば前記の如く約5粁西して良好なる接岸地に結ぶを可とする」


上は『㊙ ニューギニア調査報告書 第9篇(測量班報告)』(昭和19年6月 海軍ニューギニア調査隊)の表紙


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報告書に掲載されたヤカチ川の写真。中流部で川幅が約70mとある。この一帯で何千もの将兵が飢餓、熱帯病で帰らぬ人となった。


海軍ニューギニア調査隊の目的が、完全な占領、そして民政(注:海軍は軍政を民政と呼称していた)に向けての基礎データ収集にあったことは論を待たない。将来の資源確保、労務者徴集、食糧確保、宣撫工作などのために必要となる西部ニューギニアの戦略的概要を知ろうとしたのである。実は、開戦前、大本営は世界第二の巨島ニューギニア島に関して、その実情を正確に把握してはいなかった。と言うよりも、そもそも関心がなかった。「開戦前の南方作戦計画によれば、ジャワ攻略作戦の最左翼は、アンボン、クーパンの線であって、西部ニューギニアに対する作戦に関しては、全然示されておらず、差し当たりポートダーウィン方面に対処することが第一義であった。南太平洋方面では、ラバウル占領が部署されていたが、その目的はわが南太平洋諸島方面要域防衛のための拠点を占領することであった。そして東部ニューギニア方面に対する作戦方針は未定であった。要するにニューギニアの作戦要領は東西両方面ともに、開戦後の状況推移に応じ、これを決めるのが大本営の腹案であった。(中略)わが軍、特に陸軍のニューギニア方面に対する戦前の関心はきわめて薄く、海軍側に一任した形であった。ニューギニアが陸軍を悩ます戦場となることなど、夢にも思わなかったのである」----『戦史業書 西部ニューギニア方面 陸軍航空作戦』(防衛庁防衛研修所戦史室著:朝雲新聞社。昭和44年1月20日発行)は、そう著している。
海軍ニューギニア調査隊は、地質鉱物資源、水系水力資源、セメント工業立地、サゴ蓄積状況(注:サゴはサゴ椰子澱粉が採れる椰子の一種:戦時中、少なくない日本兵が、自然繁茂のサゴ椰子によって命を救われた)、そして道路、民族(人種、人口、経済生活、衣食住、交易、家族組織、同族集団と敵対意識、宗教)など多岐にわたる調査を実施した。



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衛星画像に見る、ヤカチ村付近。川はヤカチ川。


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報告書に掲載されたヤカチ川横断道路終端付近の光景。川幅は30m、深さ2mとある。


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測量班が通過した「鏡ヶ池」を衛星画像で見る。


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報告書に掲載された「鏡ヶ池」の写真。横断道路はこの池の東部を南北に通過するルートが推奨されている。


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衛星画像で見た「鏡ヶ池」。


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報告書に掲載された「鏡ヶ池」の写真。


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昭和18年11月付の海軍ニューギニア調査隊報告書『西部ニューギニア ベラウ地峡横断道路調査図 全十一葉』に掲載された「鏡ヶ池」周辺イラスト。603mの山から見た図とある。


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上のイラストを描いたと思われる山頂付近から「鏡ヶ池」を見た衛星画像。


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転進部隊が通過したシンヨリ、ヤカチ、イドレ付近の地図(『西部ニューギニア ベラウ地峡横断道路調査図(全十一葉)』より引用)。


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【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(14) Bandara Dai Nippon(14) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_16.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13) イドレ(Idore)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_15.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
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サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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