東部インドネシアの旧日本軍航空基地(13) Bandara Dai Nippon(13)イドレ

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“絶対国防圏”----日本と南方資源要域及び両者間の連絡地帯を防衛するための、必要最小限の要域圏であって、それより内には絶対に敵の作戦拠点獲得を許さないとする考え方(『戦史業書 西部ニューギニア方面陸軍航空作戦:防衛庁防衛研修所戦史室著』朝雲新聞社刊の第一編「西部ニューギニア方面陸軍航空主力の決戦準備」より)。昭和18年(1943)9月末に大本営が、南太平洋方面の確保を断念し、絶対国防圏を決定すると、西部ニューギニア地域の航空基地の確保はさらに重要度を増した。絶対確保すべき要域は千島、小笠原、内南洋(中・西部)及び西部ニューギニア、スンダ、ビルマを含む圏域だった。換言すれば、東部ニューギニア方面は、この段階で“絶対国防圏”には入らず、極力持久に努めるエリアに後退した。つまり、大本営からは見放された。
しかし、その後の戦況悪化に伴って、その絶対国防ラインは徐々に西に後退することになった。中部ニューギニアのホランジア(Hollandia:今日のジャヤプラ)の陥落(1944年4月末)、それに続くビアク(Baik)島の戦闘(1944年4月~8月)の激化を踏まえ、昭和19年(1944)5月2日、以下の大陸令(大本営陸軍部命令)が下された。「西部ニューギニア方面ニ於ケル確保スヘキ第一線ハヘルビング湾(注:今日のチェンドラワシ湾)底要域、マノクワリ、ソロン、及ハルマヘラ附近ノ線トス。ビアク島附近要地ハ極力永ク之ヲ保持スルモノトス」。


上は植松仁作著『地の果てに死す』(昭和51年1月10日初版:図書出版社刊)


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マノクワリ(Manokwari)には第二方面軍(注:司令官は終戦時の陸軍大臣であった阿南惟幾大将:昭和18年12月1日、フィリピンのミンダナオ島のダバオで統帥発動。昭和19年4月末、司令部所在地は北スラウェシのマナドに移り、9月末、南スラウェシのシンカンへと後退)隷下の第二軍(司令官は豊嶋房太郎中将)が司令部を置き、後退した“絶対国防圏”の死守を担っていた。しかしながら、連合軍はホランジア、ワクデ(Wakde)島、サルミ(Sarmi)付近へと、次々に飛び石上陸、ビアク島も玉砕の一歩手前まで戦況悪化。第二軍司令部は、当時ニ万名を数えたマノクワリの兵員のおよそ半数を、他の地域へ“転進”させることを決めた。理由は、豊嶋元司令官が『濠北を征く』(昭和31年8月20日、濠北方面遺骨引揚促進会発行)で次のように回想している。「マノクワリには当時同地に居った約二万の兵員の為概ね三箇月分の糧食を保有するに過ぎなかったので其の儘の配置で居ったならば約三箇月の後には糧食が皆無となり、而も現地自給による食糧品(主として薩摩芋)の生産には六箇月乃至一年を要するので、此間に空隙を生ずることとなる状態にあった。之れが為同地には戦闘部隊を基幹とする其約半数の一万人内外を残置して節食しつつ半年以上の食延しをし、此間現地自活を促進して之れに依存せしめる様にした。即ち同地にあった第三十五師団司令部及びソロン警備の為必要の部隊はソロンに移動せしめ、第二軍司令部及直轄部隊の主力は前記のベラウ湾頭地区に移動せしめることとした」


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米軍上陸状況図(昭和19年)と第2軍転進要図。共に『地の果てに死す』から引用。ベラウ地峡には、戦後63年も経ちながら、未だに遺骨収集されずに山岳地帯、湿地帯に散らばるおよそ一万の“元大日本帝国軍人”が“白骨街道”をなしている。


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「マノクワリの兵力は二万余、決して少ないものではなかった。しかしその大半は兵器廠、貨物廠、船舶部隊などの後方部隊で、主戦部隊は第三十五師団の一部だけだった。これでは装備のすぐれた敵に、とても対抗出来るものでない。その上、マノクワリの食糧は、もう三ヵ月分ぐらいしかなかった。この為、軍司令官は、とうとう兵力移動を決心し、マノクワリの兵力の半分、一万二千に、マノクワリの南方六百粁の地、イドレへ転進を命じた。これは昭和十九年七月一日だった」----後日連合軍が“緑の地獄”と呼んだ、ベラウ(Berau)地峡縦断の、死の転進作戦に加わった、元電信第24連隊中隊長の植松仁作元大尉は、その著『地の果てに死す』(昭和51年1月10日初版:図書出版社刊)でそう記している。12,000名の内、戦後生還できた者はわずか800名足らず。生存率は7%にも達しなかった。(手描きの地図は『地の果てに死す』から引用)


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昭和19年(1944)9月、マノクワリ→イドレの“死の行軍”の実態を初めて知った、すでにイドレにあった第二軍司令部は、アンボン方面にあった第7飛行師団に、転進部隊に対して空中補給の要請を行った。しかしながら、制空権の状況、地形、さらに地上部隊の状況不明のために、9月15日、バボ(Babo)に双軽2機で18梱の薬品と食糧を投下したにとどまった(『戦史業書:西部ニューギニア方面陸軍航空作戦』)。


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上の地図は『㊙ ニューギニア調査報告書 代篇(地質鉱物班報告B) 昭和19年10月 海軍ニューギニア調査隊』から引用


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【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(12) Bandara Dai Nippon(12) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_14.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(11) Bandara Dai Nippon(11) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_12.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_11.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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