東部インドネシアの旧日本軍航空基地(10) Bandara Dai Nippon(10)マノクワリ

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第二方面軍並びに第二軍が統帥を発動する以前、飛行場設定部隊はいち早く西部ニューギニアに入り、フォーゲルコップ(オランダ語でVogelkop)半島(注:この地を日本軍は亀地区と呼称した)で偵察・調査を開始した。この任にあたったのは第19軍(司令部はアンボン:司令官は冨永信政中将。隷下に第48師団や第5師団、第48師団など)の第二野戦飛行場設定隊(山本勝大佐)。同隊は昭和18年(1943)10月、マノクワリへ進出、レンダニ(Rendani)に一か所、その南のムミ(Momi)地区に2~3ヵ所の設定を計画し、レンダニは第14野戦飛行場設定隊(宇野勝少佐)に、そしてムミ地区は第15(折野末太郎少佐)、第百一野戦飛行場設定隊(伊藤留松少佐)に、その任務を命じた。その後、第二軍が12月末にマノクワリへ進出。第19軍から飛行場建設を引き継いだ。
第二軍が昭和19年(1944)1月に策定した航空基地設定計画によれば、飛行場の目標数は25個で、それまでに着陸可能な陸軍の飛行場はヌンホル(Numfor)とムミ(Momi)だった。同計画によれば、空港の規模は、おおよそ長さが1,500m、幅100mを標準とし、各飛行場に飛行機用掩体を30~40個整備し、500~1,000名収容可能な施設を構築するとなっていた。
ムミはマノクワリの南約80kmに位置し、滑走路の規模は長さ1,200m、幅50m。概成は昭和18年12月下旬だった。建設には、前記二つの設定隊およそ1,000名があたった。



ムミ飛行場の跡地。無数の爆撃によってできたクレーターが残っている。


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日本軍は、フォーゲルコップ(Vogelkop)半島東部のマノクワリ、ランシキ、ムミ、ワーレンに滑走路を開き、ビアク(Biak)島には計3個、ヤーペン(Yapen)島にも1ヶ所、ヌンホル(Numfor)島には3ヵ所造成した。まさに“絶対国防圏”としての空の守りを狙ったわけだが、航空基地の完成前に、制空権そして制海権は連合軍の手に落ちていた。


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西部ニューギニア方面に、大本営はやがては二個飛行師団規模の飛行部隊を配置する考えを持っていた。このためマノクワリを司令部とした第二軍は、昭和19年(1944)年の中期頃までに、可能な限り多くの飛行場を整備しようとしていた。具体的には、本島北部海岸のサルミ(Sarmi)そしてビアク(Biak)島を合わせて一飛行団の集団飛行場を、同様にムミ(Momi)、マノクワリ(Manokwari)、ヌンホル(Numfor)を合わせて一飛行団強の集団飛行場の整備だった。
「軍が西部ニューギニアに於いて国軍の防衛圏の一環を構成する為に第一に期待せられたものは、昭和19年中期頃より逐次完成すべき我航空軍の成果を此正面に於いて発揮することであった。これが為に軍は戦場に到着と共に、飛行場の整備に殆全力を傾倒して掛ったと言っても過言でない程であった。飛行場は軍の任務達成の為の生命と心得て居ったのである」----『濠北を征く』(昭和31年8月20日、濠北方面遺骨引揚促進会発行)の中で、豊嶋房太郎元第二軍司令官が書いている。



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日本軍がマノクワリに進駐するずっと以前、実は日本人が西部ニューギニアに企業進出していた。1932年蘭印(オランダ領インネシア)当局から正式に認可された南洋興発合名会社は、ナビレ(Nabire)でダマル樹脂採集事業を興し、ムミ地区でも一千二百町歩の土地を開拓し、綿花栽培、黄麻などを始め各種の農産物を栽培していた。同社はマノクワリに事務所を持ち、当時の蘭印政府の規制により最大40名の邦人社員(家族は別)を有していた。当然のことながら、日本軍がムミに飛行場の建設を始めるにあたり、同社は協力を惜しまなかった。


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ランシキ、ムミ、ワーレンの西方のアルファック山系に、二つの大きな湖がある。アンギ・ギジ湖(Danau Anggi Giji)とアンギ・ギタ湖(Danau Anggi Gita)。前者は男の湖、後者は女の湖とされる。戦時中、日本海軍は、この二つの湖を調査した。『㊙ ニューギニア調査報告書 第3篇(地質鉱物班報告B)昭和19年10月 海軍ニューギニア調査隊』によれば、同年3~4月、海軍嘱託の八木健三以下三名の地質学者は、フォーゲルコップ半島東部のプラフィー川流域で鉱床調査を行った。湖に関しては「高度2000米前後の標高を有し、気温は最高26℃最低10℃で日本内地の秋に相当し極めて健康地であるから、将来ニューギニアが開発された暁には避暑地、保健地として充分利用すべきであらう」と記している。そして今まさにマノクワリ県政府は、高原リゾート地としての可能性に注目していると聞く。


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ムミ(Momi)飛行場(最終的には長さ1,500m、幅100m)は昭和18年(1943)11月下旬に着工し、翌月下旬に概成した(この時点では長さは1,200m、幅50m)。連合軍の空爆によって、同滑走路と掩体エリアには巨大なクレーターが。雨水がたまり池と化したそれらの穴は、今日に至ってもそのまま残っている。多くの航空基地が、“絶対国防圏”の一角を占める西部ニューギニア地域に建設されたが、時すでに制空権と制海権を連合軍に握られ、初期の願いとは裏腹に、概成・完成するやいなや、猛爆を受けた。衛星画像からは、クレーターだらけの滑走路跡の脇に現在では住宅街が生まれていることが分かる。


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米軍機の猛爆撃を受ける日本軍ムミ飛行場(Pacific Wrecks.comより引用)。おそらく1944年5~10月頃撮影したものと思われる。


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モミ飛行場の西方のワーレン川右岸にも飛行場の建設が試みられた。しかし完成を見なかった。



【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(9) Bandara Dai Nippon(9) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_10.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(8) Bandara Dai Nippon(8) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_9.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(7) Bandara Dai Nippon(7) マノクワリ(Manokwari)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_8.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(6) Bandara Dai Nippon(6) サガ&バボ(Saga & Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_7.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(5) Bandara Dai Nippon(5) バボ&サガ(Babo & Saga)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_6.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(4) Bandara Dai Nippon(4) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_5.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(3) Bandara Dai Nippon(3) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_4.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(2) Bandara Dai Nippon(2) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_3.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地 (Bandara Dai Nippon) バボ(Babo)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200812/article_2.html

マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluk (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluk (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html

戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

パプアの桜(No.2) Pohon Sakura Papua(No.2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_4.html

パプアの桜(No.1) Pohon Sakura Papua(No.1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_3.html

西パプア州政府(Provinsi Papua Barat)
http://www.papuabaratprov.go.id/

パプア州政府(Provinsi Papua)
http://web.papua.go.id/

マノクワリ県(Kabupaten Manokwari)
http://www.manokwarikab.go.id/

ヤーペン島嶼県(Kabupaten Kepulauan Yapen)
http://www.yapenwaropen.go.id

ビアク・ヌンホル県(Kabupaten Biak Numfor)
http://www.biak.go.id/

ソロン県(Kabupaten Sorong)
http://www.sorongkab.go.id/

南ソロン県(Kabupaten Sorong Selatan)
http://sorongselatankab.go.id/

サルミ県(Kabupaten Sarmi)
http://www.sarmikab.go.id/

ワローペン県(Kabupaten Waropen)
http://www.waropenkab.go.id/

ファクファク県(Kabupaten Fakfak)
http://www.fakfakkab.go.id/

ビントゥニ湾県(Kabupaten Teluk Bintuni)
http://www.bintunikab.go.id/

ウォンダマ県(Kabupaten Teluk Wondama)
http://www.telukwondama.go.id/

カイマナ県(Kabupaten Kaimana)
http://www.kaimanakab.go.id/

ジャヤプラ市(Kota Jayapura)
http://www.jayapurakota.go.id/

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