ロテ島ササンドゥ物語(2) Sasandu, Rote, NTT(2)

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【ロテ島&ンダオ島】
ロテ島は、ティモール島の南西に位置し、2002年7月2日に誕生したロッテンダオ(Rote Ndao)県の県都であるバア(Baa)所在地。同県の面積はおよそ1,280km2で96の島から構成。内6島に住民が暮らし、その他の島は無人島。人口は約105,525人(県政府2006年データ)。6郡(Kecamatan)から構成。ロッテンダオ県は、16県から成るNTT(東ヌサトゥンガラ)州に属する。州都クーパンからは、毎日一便往復する高速艇で約2時間の距離。
18世紀初頭のオランダ植民地下、キリスト教が本格的に伝播し、現在では、県民のおよそ95%がキリスト教徒。域内には小学校が126校、中学校が21校、高校が11校。私立大学の分校が3校ある。
ロテ島は、インドネシア共和国の最南端に位置し、海を隔ててオーストラリアと一衣帯水の距離。世界で、この島にしか存在しないロンタール(棕櫚椰子)と竹でできた楽器・ササンドゥ(Sasandu)が知られているが、お土産としての生産はあるものの、純粋に伝統楽器としての継承は危うい状況にある。さらに、ロンタールの葉で編んだ独特な帽子(Tiilangga)は、盛装時に欠くことのできない男性のアイテムとなっている。
ロテ島の西端に、世界のサーファーに知られるナンベララ(Nemberala)海岸があり、6月~10月のシーズンには、世界中から多くの若者が訪れる。県都のバアから車で約30分の距離にあり、オーストラリア人が経営するコテージもある。インド洋から吹き付ける強風で生まれるナイン・ウエーブ(9 Wave)は、その規模としては、インドネシア国内でも最高レベル。
県都のバアから船外エンジン付きの船で2~3時間の距離にあるンダオ(Ndao)島は、イカットの産地として知られている。ロテ島のイカットとは、まさにンダオ島のイカット生産を指すといっても過言ではない。また、同島では銀細工の生産も盛ん。
ロテ島(ンダオ島)のイカットの特徴は、幾何学模様風に、植物や花柄が多用されている点。また小鳥を配するなど、繊細で女性的なデザインが特徴。また、かつてヨーロッパ人の寄港、そして地元の女性との婚姻などを通じて広まった欧州文化の影響が、例えばバラの花びらのモチーフなど、どことなくヨーロッパの香りを漂わせるイカットも少なくない。藍染の紺地に、ムンクドゥの根やマンゴの樹皮から抽出した赤とのコンビネーションが美しく、また柔らかなクリーム色の使用も温かみを感じさせる。




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楽器ササンドゥの原型は、棕櫚椰子の葉をそのまま丸めることによって生まれる半球形。しかし、梱包や移動に不便なことから、最近では、葉を短冊状に繋いだ、折り畳み可能なササンドゥが作られるようになってきた。両者の間には音質面で微妙な差があるはずだが、今や主流は、上の画像のようなポータブルタイプのササンドゥだ。大きさは、高さがおよそ59cm、扇状に広げると、最大横幅が約50cmだが、閉じるとなんとわずか10cm足らず。弦を取り付けた直径およそ6.5cmの竹筒部分の長さは約46cm。このササンドゥの場合、弦は32本。重さは約1.2Kg。


◎ サングアナの贈り物
長い間、サングアナを見ていない王女は、寂しさと悲しさで村の中をあちらこちら探しまわり、夕刻、ようやくサングアナの所へ辿り着きました。そこには彼女が今まで聞いたことのない不思議な、そしてとても美しい音色が響いていました。王女は家の中へ入り、心を魅了してやまない音楽が聞こえてくる部屋へ入りました。王女の心は歓喜に震えました。探していたサングアナが、とても耳にここちよく、恋に狂っていた王女の心をとらえる音楽を奏でているところでした。
サングアナは、突然目の前に現われた王女を見てとても驚き演奏をやめましたが、王女は演奏を続けるよう促しました。サングアナは、王女の熱い視線を浴びながら演奏を続けました。満足すると、王女はその楽器の名前は何かと尋ねました。サングアナは『この楽器はサリサンドゥ(Sarisandu)という名前です』と答えました。そう名付けたのは、この楽器は演奏するとき振動(Sandu)し、その振動が音を生じさせるからです。
続いて王女が尋ねました。『先ほど演奏した曲の名前は何ですか』と。サングアナは『Li Sa ndukです』と答えました。何本かの弦を一斉にかきならすと曲が生ずる、という意味です。サングアナは、ダエヘンダ(今日のロテ島)の言葉に従って名前をつけました。その楽器の発明に、王女の心はどんなに驚き、興味をそそられたことでしょうか。
サングアナは王女にその楽器を捧げました。王女は『この楽器は今から私のものになったのですからデポ・ヒトゥ(Depo Hitu)と名付けます。なぜなら、この楽器は7本の弦から成っているからです』と。以降、この楽器で奏でられる曲は“Li Depo Hitu”と名付けられました。7弦を一斉に弾くと振動して音を出す、という意味です。
王女はその楽器を持って王宮へ戻りました。彼女はとても喜んでいました。なぜなら、新しくて素敵な楽器を得られた上に、彼女はサングアナを夫として手に入れることができるからです。サリサンドゥを演奏させるため、王女はいつもサングアナを宮殿へ呼び入れました。すでに二人が誓約した約束を考えれば当然でしょうが、王女とサングアナの恋愛関係は、王様には知られることなく時が流れました。
王様はただ、王女の遊び道具になったサリサンドゥを演奏するためにだけ、サングアナが宮殿に顔を出しているものと思っていました。暫くして、王女はサングアナと情を通じました。この出来事で王様がとても怒り、宮殿中が大騒ぎになりました。
王様は、サングアナを捕まえて、引き連れてこいと、宮殿の全ての衛兵に命じました。王女がサングアナと関係を持ち妊娠したことを王様が知ると、サングアナは死刑に処せられました。サングアナと同じく捕虜だった友人はダエヘンダ(ロテ島)へ脱出できたのですが。



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◎ ナレ・サング(Nale Sanggu)の復讐
サングアナとその友人のマヌコアがダエヘンダを離れたとき、実はサングアナの妻は妊娠三ヶ月でした。出産すると、健康で凛々しい男の子でした。その子はナレ・サング(Nale Sanggu)と名付けられました。年月を経て、ナレ・サングは逞しく素晴らしい青年に成長しました。
父親のサングアナがンダナ島で処刑死したことは、故郷への脱出に成功した父の友人から伝え聞いていました。ナレ・サングが大人になると、彼は村で一番の勇士になっていました。そこで、ナレ・サングは、ンダナ王宮を襲い、父が作った楽器サリサンドゥを奪い返し、復讐することを決意しました。なぜなら、その楽器は愛しい父が創造したものであり、まさに父親から後世への文化遺産だったからです。
ナレ・サングは軍隊を引き連れンダナ島に上陸。敵の抵抗を受けることなく王宮を急襲しました。そして宮殿の全ての財産、それからもちろんのこと楽器サリサンドゥを奪還することに成功しました。
王様と全家族、そして多くの臣民は、ナレ・サングの軍隊によって絶滅させられました。ナレ・サングと軍隊はサリサンドゥを始め、王宮財産や、何人かの捕虜を連れてダエヘンダに無事戻ってきました。ナレ・サングは、その楽器を父の形見とする傍ら、後世に伝えるべきロテ人の独創楽器として、そして未来への遺産としてすべてのロテ島民にその製作権利を与えました。



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ロテ島随一のササンドゥの作り手であったサムおじさん(右)は昨年この世を去り、ササンドゥの未来の運命が危惧されている。左は、高校生のエルニさん。学校一番の伝統舞踊の踊り手だった(2002年5月、ロテ島で撮影)


【参考ブログ】


ロテ島ササンドゥ物語 (1)  Sasandu, Pulau Rote, Propinsi NTT
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200811/article_5.html

ロテ島の楽器ササンドゥの運命(2) Nasib Sasando di Pulau Rote(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200808/article_4.html

ロテ島の楽器ササンドゥの運命(Nasib Sasando di Pulau Rote) (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200808/article_3.html

ロテ島&サブ島伝統イカット展(Pameran Ikat Rotendao & Savu-NTT)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200801/article_1.html

インドネシア最南端のロテ島で伝統イカットが消滅(Tenun Ikat di Pulau Rote)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_2.html

第7回アロール県エキスポ画像リポート(2)Expo Alor ke-VII(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200808/article_2.html

第7回アロール県エキスポ画像リポート(1)Expo Alor ke-VII
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200808/article_1.html

第7回アロール・エキスポ情報(Expo Alor ke-VII)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_2.html

アロール県エキスポでオスカルさんのファッションショー
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_5.html

第6回アロール県エキスポで日本の竹製品を紹介
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_4.html

第6回アロール・エキスポ情報(Expo Alor ke-VI)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200706/article_11.html

アロール県がタマンミニにパビリオンをオープン
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_4.html

Mr.おじいさん&Mrs.おばあさんコンテスト
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200611/article_5.html

アロール島でミスコンを主催
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200611/article_4.html

世界で二番目に美しい海中公園アロール島
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200611/article_3.html

第5回アロール・エキスポで日本の絣&着物を展示
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_7.html

第5回アロール・エキスポで寿司を握る
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_6.html

アロール島事典(日本語): http://alor.hp.infoseek.co.jp/

アロール県公式Website(インドネシア語)
http://www.alorkab.go.id/

アロール県Website(英イ語): http://www.alor-island.com/

インドネシア文化宮(GBI)活動記録
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html

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