タニンバル島謎の石船(Kapal Batu, Tanimbar MTB, Maluk) No.1

画像



















東のアラフラ(Arafura)海に舳先を向け、高台の広場に錨を下ろした石船(Kapal Batu)。西南東マルク県の県都サムラキ(Saumlaki)から、ヤムデナ(Jamdena)島東海岸を東北方向へ車でおよそ二時間。サングリット・ドル(Sanglit Dol)村の中心部に、その船はあった。県都から途中まではアスファルト道路だが、でこぼこの土と小石の道。乾季ならまだしも、雨季には走行が極めて困難なことが予想される。県政府は、ヤムデナ島の観光スポットとしてこの石船に大きな期待を抱いている。そのため、今、村人たちは、半壊状態だった石船の修復作業に忙しい。

それにしても、なぜ、巨大な石船を作る必要があったのだろうか。その昔、タニンバル諸島を始め、北東に浮かぶケイ(Kei)諸島やアルー(Aru)諸島には、伝統的に、シンボルとしての船信仰があったとされる。象徴的意味として、船は家と村と捉えられた。そして家族や村人は、まさに“乗組員”だった。東部インドネシアの全域に当てはまることだが、中小規模の島々から成る一帯では、カヌーや手漕ぎ船、そして帆船などが重要な移動手段だった。船は、交易、親交、戦闘の手段だったとも言える。アラフラ海を東へ西へ、北へ南へと、外部から新たな文化・文明が交易を通して入ってきた。また、船は、近隣の村々との親交に欠くことのできない乗り物だった。しかし、一方では、敵対する村々との戦にも使用された。

西東南マルク(MTB=Maluk Tengara Barat)県を含み、バンダ(Banda)海、そしてアラフラ海に浮かぶ島々は、Nico De Jonge、そしてToos Van Dijkらが1980年代初頭に現地調査を行い、その著書『Forgotten Islands of Indonesia(The Art & Culture of the Southeast Moluccas)』に克明に紹介したように、“インドネシアの忘れられた島々”かもしれない。今でも、この地域を訪れる人々は、オーストラリアからヨットでやってくる観光客を除けば、外国人ツーリストは数えるほどしかいない。彼らも、少なくない割合が、文化人類学や民族学といった特定の目的を持った旅人たちである。

今、サムラキはオーストラリアのダーウィンと姉妹都市を締結し、その未来の活路を海外からの観光客、そして外資の誘致に動き始めている。港湾設備を拡充し、新空港の建設も計画されている。“忘れられた島”は、再び大航海を始めた。




画像



タニンバル(Tanimbar)諸島で最も大きな島はヤムデナ(Jamdena)島。この島の南端部にMTB(西南東マルク県)の県都であるサムラキ(Saumlaki)がある。アンボンから、メルパティ航空の双発小型機で約3時間。バンダ海を飽きるほど眺めての飛行だ。ヤムデナ島の南西には、旧日本軍が最前線基地を設けたセラル(Selaru)島が、そして北東にはララット(Larat)島、北部にモル(Molu)島、西部にブルジャル(Vurjaru)島やセラ(Sera)島などがある。
西南東マルク県は、東に県都のあるタニンバル諸島、そして西へ向かって、ティモール島の手前に、点在する小さな島々から構成されている。同県中部と西部の主な島は、戦時中、日本軍による集団虐殺事件が起きたババル(Babar)島、そしてダマール(Damar)諸島、セルマタ(Sermata)島、レティ(Leti)諸島(レティ島、モア=Moa島、ラコール=Lakor島など)、キサール(Kisar)島、ウエタール(Wetar)島などがある。遠くない将来、同県は分割され、ババル島からウエタール島までが新たな県になる予定だ。




画像




画像



















2007年9月撮影の石船とSangliat Dol村の光景。連日、村人によって、石船の修復作業が続けられている。




画像



1930年に撮影された石船。保存状態も良い。後方に船形の家屋が並んでいる。しかし、現在これらの住居はない。
(写真:「Forgotten Islands of Indonesiaより引用」)


画像



石船の海側の先端部に木製の舳先が付いていたが、何者かによって盗まれ、今では見ることができない。
(写真:「Forgotten Islands of Indonesiaより引用」)


画像



「Forgotten Islands of Indonesia:The Art & culture of the Southeast Moluccas」
著者:Nico de Jonge & Toos van Djik
発行元:Periplus Editions (1995) ISBN:962-593-015-9



画像





















いつ、誰が、何の目的のためにこの石船を作ったのか?現在の村人で、この疑問に明確に答えることのできる人はいない。海面からおよそ30-40メートルの高台に鎮座する石船。舳先はアラフラ海に向かう。かつて海を渡ってきた海洋民族の魂を見る思いがする。


画像





















船尾には、石製のテーブル、そして椅子が並ぶ


画像




















村人によれば、その昔、村の重要な決議は、この石テーブルの周りで採決されたという。この場所は裁判所のような機能も果たしていたそうだ。


画像




















強い陽射しを避け、ビニールシートの仮設テントの下で、復元作業に従事する村人。皆、ボンランティアでの参加だ


画像




















船首側から船尾を見る


画像




















右舷側の破損が目立つ。セメントなどは用いず、加工した石を積み上げる


【参考ブログ】


戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_6.html

インドネシア文化宮(GBI)活動記録
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html

インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html




この記事へのコメント

この記事へのトラックバック