インドネシア最南端のロテ島で伝統イカットが消滅(Tenun Ikat di Pulau Rote)

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インドネシアは名実共に、世界一の“イカット(絣)”生産国。スマトラ島に始まり、カリマンタン島、ジャワ島、カリマンタン島、そしてバリ島からパプアに近いタニンバル諸島まで、各地に絣文化が息づいている。しかし、各地でその生産にあたって伝統手法が消滅の運命にあることも事実だ。2007年9月初旬、“インドネシア最南端の島”として知られるロテ(Pulau Rote)を五年ぶりに再訪した。“最南端”とは言え、実際はロテ島南西部に浮かぶランドゥ(Landu)島が、一般住民が居住する“最南端”にあたる。そしてロテ本島の西方海上に浮かぶ島がンダオ(Ndao)島。現在、ロテ島とンダオ島は、ロッテンダオ(Rotendao)県として、NTT(東ヌサトゥンガラ)州の一県をなしている。県都はバア(Baa)で、NTTの州都クーパンから毎日一便就航している高速艇「Express Bahari 9」でおよそ2時間50分の距離にある。
上の画像は、ケド氏所蔵の3枚の内の1枚


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筆者はこれまでインドネシア各地のイカット生産地を訪ねたが、県都バアで、これまでに出会ったことがない、究極の出来具合のイカットを見ることができた。所有者は、かつてのバア王国の末裔、ヨハン・ウイルソン・ケド(Johan Wilson Kedoh)さんとロサリン・ケド・トゥル(Rosalin Kedoh Toelle)さん夫妻。お二人の話によれば、現在3枚残っている、手紡ぎ綿糸を用い、自然色で染め上げたイカットは、すべてヨハンさんの実母である故レギナ ウェルヘルミナさん(1975年1月死亡)が、1930年代初期に織り上げた。従っておよそ77年を経年した古布だ。何にもまして、その綿糸の緻密さに驚く。現在の工場産の綿糸よりも細く、そして均一のサイズ。さらに、自然色の色彩は、まるで昨日織り上げたようなビビッドな色。しかも、モチーフは伝統に忠実。「これらの布は家宝です。大事にしまってあります。訪ねてきたからといって、誰にでも見せることはありません」とケド氏。今回は、ロッテンダオ県政府の計らいで特別に見せていただいた。
ケド氏の家は、19世紀末に建てられた。オランダ植民地支配時代を彷彿させる(上の画像)


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ケド氏とロサリンさんご夫婦

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バア王国初代国王のヨエルさん(右)とイカットを織り上げた妻のレギナさん


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金製の装飾を施したサルン(モデルはバア出身のエルニさん、23歳)


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スリムット(綿布)を手にするヨハン氏(右)と国営テレビ局TVRIのクーパン支局アナウンサーのイナ・ジャフラさん。


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ロテ島西部のナンブララ海岸は、世界のサーファーに知られる大波の故郷。サーフィン世界選手権が開催されたこともある。


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ンダオ島の東海岸。汚染されていないピュアな海。海底珊瑚も美しい。ロテ島の県都バアから県水産局所属の高速艇(200馬力の船外エンジンを3基装着)で約45分。ナンブララ海岸からは、漁船でおよそ2時間の距離。


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村人がイカットを展示。しかし、全てがお店の綿糸(Benang Toko)すなわち工場産綿糸を用い、染色も全て化学染め。ンダオ島の住民の約9割がプロテスタント教徒。ンダオ語を話す。


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ジェニさん(25歳。一児の母)。小学校を卒業後、村に残り、イカットを織り続けている。「一週間で一枚織り上げます」と。


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ンダオ島は銀細工の産地としてもよく知られている。


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編み手法で作った銀製ネックレスは、島の女性なら必ず一つは所有している。伝統舞踊や結婚衣裳の飾りに欠かせない。


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およそ60-70年前に祖母の故スリ・アプルギさんが織った、手紡ぎ綿糸&自然色染めイカットを手にするマルテン・ラジャさん。「今やンダオ島に綿花は残っていないし、自然染をする人もいない」とマルテンさん。

インドネシア文化宮(GBI)は、ロッテンダオ県政府と共催で2008年4-5月を目標に、手紡ぎ綿糸を用い、全てを自然染めしたイカットのコンテストを実施する予定です。島のイカット伝統文化を復興し、地場産業に育て上げる努力の一助となることを期待しています。







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