戦後が来ない西南東マルク県。占領の傷跡は誰が癒してくれるのか?

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終戦記念日の前日(2007.8.14)、マルク州西南東マルク県のセラル島のレミャン海岸に立った。ここは、日本軍が連合軍と対峙した、正真正銘、“最前線”だった。南の方角にはオーストラリアのダーウィンが位置する。レミャン海岸に夜間上陸した日本部隊は、陸路、東海岸に面するリンガット村に進駐した。リンガット村で、“戦後”が訪れていないことを実感した。陸地、海岸、そして海中に投棄された多量の弾薬と兵器。「村は破壊され、連合軍の爆撃で約200名の村人が死亡した。そして村のおよそ50名の若い女性が慰安婦として強制的に性の奴隷となった」と、現村長のユスフ・サンボヌさん。






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リンガット村のユスフ村長が言う。「私たちに戦後は未だ来ていない。戦後賠償ができないことは分かっている。しかし、日本軍の最前線として、強制的に協力させられた村のことを少しでも思い出して欲しい」


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【参考ブログ】


東部インドネシアの旧日本軍航空基地(55) Bandara Dai Nippon:55タニンバル諸島(Tanimbar)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_27.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(54) Bandara Dai Nippon:54タニンバル諸島(Tanimbar)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_26.html


マルク州タニンバル紀行(9) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (9)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200807/article_1.html

マルク州タニンバル紀行(8) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (8)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_10.html

マルク州タニンバル紀行(7) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (7)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_9.html

マルク州タニンバル紀行(6) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (6)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_8.html

マルク州タニンバル紀行(5) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_7.html

マルク州タニンバル紀行(4) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_6.html

マルク州タニンバル紀行(3) Ke Tanimbar, MTB. Maluku (3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_5.html

マルク州タニンバル紀行(2) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_4.html

マルク州タニンバル紀行(1) Ke Tanimbar, MTB, Maluku (1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200806/article_3.html

マルク州西南東マルク県
http://www.mtbkab.go.id/


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