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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(2)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(2) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/24 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(1)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(1) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/23 00:00
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(5)
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(5) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/14 00:00
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(4)
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(4) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/13 00:00
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(3)
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(3) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/12 00:00
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(2)
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(2) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/11 00:00
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(1)
玉砕の記録・昭和24年刊「ニューギニア玉砕記」飛田忠廣著(1) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/10 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(12)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(12) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/09 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(11)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(11) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/08 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(10)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(10) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/07 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(9)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(9) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/06 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(8)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(8) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/05 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(7)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(7) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/04 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(6)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(6) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/03 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(5)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(5) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/02 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(4)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(4) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/10/01 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(3)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(3) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/09/30 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(2)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(2) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・ニュ... ...続きを見る

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2016/09/29 00:00
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(1)
「人喰密林戦記」に見るマノクワリ→イドレ転進作戦(1) インドネシア文化宮(GBI)は、悲劇の西部ニューギニア戦線を記録した、極めて入手困難な記録を、古書市場を通じて収集してきた。これまでに「西部ニューギニア・ベラウ地峡戦友会機関誌『辺裸飢』」や「新穂智少佐の西部ニューギニア横断記 Major Satoru Niiho's West New Guinea」、「西部ニューギニア東部隊(第35師団)作戦記 椰風Imperial Japanese Army 35th Division」、『海軍ニューギニア調査隊報告書』、『海軍ニューギニア調査隊・... ...続きを見る

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2016/09/28 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(22)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(22) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/27 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(21)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(21) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/26 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(20)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(20) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/25 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(19)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(19) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/24 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(18)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(18) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/23 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(17)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(17) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/22 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(16)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(16) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/21 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(15)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(15) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/20 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(14)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(14) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/19 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(13)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(13) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/18 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(12)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(12) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/17 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(11)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(11) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/16 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(10)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(10) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/15 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(9)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(9) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/14 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(8)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(8) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/13 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(7)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(7) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/12 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(6)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(6) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/11 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(5)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(5) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/10 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(4)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(4) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/09 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(3)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(3) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/08 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(2)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(2) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/07 00:00
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(1)
野垂れヤカチ:マノクワリ→イドレ転進作戦の悲劇(1) 72年も昔の話だ。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、西方のソロン(Sorong)、南方のイドレ(Idore)へと転進させることを決めた。“転進”とは当時の呼称。実際は、十分な糧食も持たない敗走劇だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド... ...続きを見る

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2016/09/06 00:00
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌(歌詞付き動画)
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌(歌詞付き動画) たくさんの戦友が亡くなった。飢餓で、そして殺されて。 死体は森に、そして断崖に散らばっている。 ああ、なんという苦難か。 ...続きを見る

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2011/07/07 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(3) To Idore
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(3) To Idore 戦時中、第2軍司令部がマノクワリから“転進”したベラウ地峡のイドレ村。現在ビントゥニ湾県の県都ビントゥニ(旧ステンコール)に暮らすイドレ(Idore/Idoor)村出身のアブラハム・ウェカブリ(Abraham Wekabury)氏(54歳)は、ビントゥニ湾(ベラウ湾)一帯の七つの民族(部族)を糾合する民族評議会の代表を務め、ビントゥニ市中心部に伝統家屋を復元し、民族博物館設立の構想を持っている。アブラハム氏の父親故エリサ・ウェカブリ(Elisa Wekabury)さんは、大戦中、イドレ村に... ...続きを見る

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2011/06/24 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(2) Saksi Idore
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(2) Saksi Idore 戦時中、第2軍司令部がマノクワリから“転進”したベラウ地峡のイドレ村。現在ビントゥニ湾県の県都ビントゥニ(旧ステンコール)に暮らすイドレ(Idore/Idoor)村出身のアブラハム・ウェカブリ(Abraham Wekabury)氏(54歳)は、ビントゥニ湾(ベラウ湾)一帯の七つの民族(部族)を糾合する民族評議会の代表を務め、ビントゥニ市中心部に伝統家屋を復元し、民族博物館設立の構想を持っている。アブラハム氏の父親故エリサ・ウェカブリ(Elisa Wekabury)さんは、大戦中、イドレ村に... ...続きを見る

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2011/06/23 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(1) Saksi Idore
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 アブラハム氏の証言(1) Saksi Idore 戦時中、第2軍司令部がマノクワリから“転進”したベラウ地峡のイドレ村。現在ビントゥニ湾県の県都ビントゥニ(旧ステンコール)に暮らすイドレ(Idore/Idoor)村出身のアブラハム・ウェカブリ(Abraham Wekabury)氏(54歳)は、ビントゥニ湾(ベラウ湾)一帯の七つの民族(部族)を糾合する民族評議会の代表を務め、ビントゥニ市中心部に伝統家屋を復元し、民族博物館設立の構想を持っている。アブラハム氏の父親故エリサ・ウェカブリ(Elisa Wekabury)さんは、大戦中、イドレ村に... ...続きを見る

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2011/06/22 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(6) Saksi Manokwari
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(6) Saksi Manokwari 戦時中、第2軍司令部が置かれた西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)。現在は西パプア州の州都。ここに暮らすバルナバス・ワンマ氏(87歳)はヌンホル島出身で、戦時下、日本軍の使役として農園・製材に携わっていた。氏の両親が所有していたとされる土地に、日本軍はレンダニ(Rendani)飛行場を建設した。 バルナバス・ワンマ氏(87歳) ...続きを見る

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2011/06/18 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(5) Saksi Manokwari
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(5) Saksi Manokwari 戦時中、第2軍司令部が置かれた西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)。現在は西パプア州の州都。ここに暮らすバルナバス・ワンマ氏(87歳)はヌンホル島出身で、戦時下、日本軍の使役として農園・製材に携わっていた。氏の両親が所有していたとされる土地に、日本軍はレンダニ(Rendani)飛行場を建設した。 バルナバス・ワンマ氏(87歳) ...続きを見る

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2011/06/17 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(4) Saksi Manokwari
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(4) Saksi Manokwari 戦時中、第2軍司令部が置かれた西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)。現在は西パプア州の州都。ここに暮らすバルナバス・ワンマ氏(87歳)はヌンホル島出身で、戦時下、日本軍の使役として農園・製材に携わっていた。氏の両親が所有していたとされる土地に、日本軍はレンダニ(Rendani)飛行場を建設した。 バルナバス・ワンマ氏(87歳) ...続きを見る

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2011/06/16 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(3) Saksi Manokwari
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(3) Saksi Manokwari 戦時中、第2軍司令部が置かれた西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)。現在は西パプア州の州都。ここに暮らすバルナバス・ワンマ氏(87歳)はヌンホル島出身で、戦時下、日本軍の使役として農園・製材に携わっていた。氏の両親が所有していたとされる土地に、日本軍はレンダニ(Rendani)飛行場を建設した。 バルナバス・ワンマ氏(87歳) ...続きを見る

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2011/06/15 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(2) Saksi Manokwari
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(2) Saksi Manokwari 戦時中、第2軍司令部が置かれた西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)。現在は西パプア州の州都。ここに暮らすバルナバス・ワンマ氏(87歳)はヌンホル島出身で、戦時下、日本軍の使役として農園・製材に携わっていた。氏の両親が所有していたとされる土地に、日本軍はレンダニ(Rendani)飛行場を建設した。 バルナバス・ワンマ氏(87歳) ...続きを見る

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2011/06/14 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 ワンマ氏の証言(1) Saksi Manokwari
戦時中、第2軍司令部が置かれた西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)。現在は西パプア州の州都。ここに暮らすバルナバス・ワンマ氏(87歳)はヌンホル島出身で、戦時下、日本軍の使役として農園・製材に携わっていた。氏の両親が所有していたとされる土地に、日本軍はレンダニ(Rendani)飛行場を建設した。 バルナバス・ワンマ氏(87歳) ...続きを見る

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2011/06/13 00:00
西部ニューギニア・ビントゥニからバボへ(2) Dari Bintuni ke Babo
西部ニューギニアの西パプア州ビントゥニ湾県。ビントゥニ湾の南岸にバボ(Babo)がある。戦時中、日本海軍はこの地に滑走路を開き、後日、陸海両軍の航空基地となった。マノクワリからイドレ村までの“白骨街道転進作戦”。バボは、第2軍司令部が移ったイドレ村近辺唯一の飛行場だった。いまでも多くの不発弾が見つかり、またたくさんの未帰還兵が瞑る地でもある。 バボ島で子供たちが捕まえた錦ヘビを海に捨てに行く場面に出合った。 ...続きを見る

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2011/06/06 00:00
西部ニューギニア・ビントゥニからバボへ Dari Bintuni ke Babo
西部ニューギニアの西パプア州ビントゥニ湾県。ビントゥニ湾の南岸にバボ(Babo)がある。戦時中、日本海軍はこの地に滑走路を開き、後日、陸海両軍の航空基地となった。マノクワリからイドレ村までの“白骨街道転進作戦”。バボは、第2軍司令部が移ったイドレ村近辺唯一の飛行場だった。いまでも多くの不発弾が見つかり、またたくさんの未帰還兵が瞑る地でもある。 ビントゥニ市から湾を縦断し2時間、旧日本軍航空基地があったバボ島に着いた。 ...続きを見る

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2011/06/05 00:00
西部ニューギニア・旧日本軍バボ飛行場 Bandara Babo, Papua Barat
西部ニューギニアの西パプア州ビントゥニ湾県。ビントゥニ湾の南岸にバボ(Babo)がある。戦時中、日本海軍はこの地に滑走路を開き、後日、陸海両軍の航空基地となった。マノクワリからイドレ村までの“白骨街道転進作戦”。バボは、第2軍司令部が移ったイドレ村近辺唯一の飛行場だった。いまでも多くの不発弾が見つかり、またたくさんの未帰還兵が瞑る地でもある。 旧日本軍が航空基地を置いたバボ飛行場 ...続きを見る

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2011/06/04 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(5) To Idore
「数ある日本軍の“転進作戦”の中でも、最も悲惨で、生還者をして“犬死転進”とさえ言われた西部ニューギニアの「イドレ転進作戦」。第2軍司令部が置かれたマノクワリ(Manokwari)から直線距離でおよそ200kmのイドレ(Idore)村までの、ベラウ(Berau)地峡を縦断する密林と湿地帯との闘い。飢餓、そして熱帯病で次々と斃れた日本軍将兵およそ1万数千名。その過程で行われた“相喰む”食人行為。現在、西パプア州のビントゥニ湾県の県都ビントゥニ(旧ステンコール)に暮らすヤカチ(Yakati)村... ...続きを見る

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2011/06/01 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(4) To Idore
「数ある日本軍の“転進作戦”の中でも、最も悲惨で、生還者をして“犬死転進”とさえ言われた西部ニューギニアの「イドレ転進作戦」。第2軍司令部が置かれたマノクワリ(Manokwari)から直線距離でおよそ200kmのイドレ(Idore)村までの、ベラウ(Berau)地峡を縦断する密林と湿地帯との闘い。飢餓、そして熱帯病で次々と斃れた日本軍将兵およそ1万数千名。その過程で行われた“相喰む”食人行為。現在、西パプア州のビントゥニ湾県の県都ビントゥニ(旧ステンコール)に暮らすヤカチ(Yakati)村... ...続きを見る

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2011/05/31 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(3) To Idore
「数ある日本軍の“転進作戦”の中でも、最も悲惨で、生還者をして“犬死転進”とさえ言われた西部ニューギニアの「イドレ転進作戦」。第2軍司令部が置かれたマノクワリ(Manokwari)から直線距離でおよそ200kmのイドレ(Idore)村までの、ベラウ(Berau)地峡を縦断する密林と湿地帯との闘い。飢餓、そして熱帯病で次々と斃れた日本軍将兵およそ1万数千名。その過程で行われた“相喰む”食人行為。現在、西パプア州のビントゥニ湾県の県都ビントゥニ(旧ステンコール)に暮らすヤカチ(Yakati)村... ...続きを見る

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2011/05/30 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(2) To Idore
「数ある日本軍の“転進作戦”の中でも、最も悲惨で、生還者をして“犬死転進”とさえ言われた西部ニューギニアの「イドレ転進作戦」。第2軍司令部が置かれたマノクワリ(Manokwari)から直線距離でおよそ200kmのイドレ(Idore)村までの、ベラウ(Berau)地峡を縦断する密林と湿地帯との闘い。飢餓、そして熱帯病で次々と斃れた日本軍将兵およそ1万数千名。その過程で行われた“相喰む”食人行為。現在、西パプア州のビントゥニ湾県の県都ビントゥニ(旧ステンコール)に暮らすヤカチ(Yakati)村... ...続きを見る

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2011/05/29 00:00
西部ニューギニア・日本軍イドレ転進作戦 エリー氏の証言(1) To Idore
「数ある日本軍の“転進作戦”の中でも、最も悲惨で、生還者をして“犬死転進”とさえ言われた西部ニューギニアの「イドレ転進作戦」。第2軍司令部が置かれたマノクワリ(Manokwari)から直線距離でおよそ200kmのイドレ(Idore)村までの、ベラウ(Berau)地峡を縦断する密林と湿地帯との闘い。飢餓、そして熱帯病で次々と斃れた日本軍将兵およそ1万数千名。その過程で行われた“相喰む”食人行為。現在、西パプア州のビントゥニ湾県の県都ビントゥニ(旧ステンコール)に暮らすヤカチ(Yakati)村... ...続きを見る

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2011/05/28 00:00
西部ニューギニア・ビントゥニからマノクワリへ(空撮) Bintuni ke Manokwari
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/19 00:00
西部ニューギニア・マノクワリからビントゥニへ(空撮) Manokwari ke Bintuni
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/17 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(7)
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 シエップ村付近の山中にある洞窟に眠る旧日本軍将兵の遺骨。ここでは計8柱を確認した。 ...続きを見る

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2011/05/13 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(6)
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/10 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(5)
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/08 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(4)
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/06 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(3) 動画
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/05 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(2) 動画
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/03 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 モミ村まで(1) 動画
「六月二十九日、まず先発隊約六百名が、軍命令の通り出発した。七月一日の未明から約三週間にわたって、マノクワリの海岸道を南へ南へと向う長蛇の列がつづいた」-- 『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、マノクワリからイドレに至る転進作戦の始まりを“白骨行序幕”と記す。 ...続きを見る

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2011/05/02 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(4)
「ヤカチ附近サゴ樹林中の生活は、日一日と生きている将兵の数を減じながら、死臭のなかに流れ去った。やがて一部の部隊をこのサゴ林およびヤカチ部落内に残置し、大部の部隊は最終目的地であるベラウ地峡エドレ(注:イドレ)地区に向い南下前進するよう軍命令が下達された。昭和十九年八月も末のころである」---『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、ヤカチ(Yakati)川からイドレ(Idore)村への移動の模様を“南進を続ける幽鬼群”... ...続きを見る

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2011/04/21 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(3)
「ヤカチ附近サゴ樹林中の生活は、日一日と生きている将兵の数を減じながら、死臭のなかに流れ去った。やがて一部の部隊をこのサゴ林およびヤカチ部落内に残置し、大部の部隊は最終目的地であるベラウ地峡エドレ(注:イドレ)地区に向い南下前進するよう軍命令が下達された。昭和十九年八月も末のころである」---『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、ヤカチ(Yakati)川からイドレ(Idore)村への移動の模様を“南進を続ける幽鬼群”... ...続きを見る

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2011/04/20 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(2)
「ヤカチ附近サゴ樹林中の生活は、日一日と生きている将兵の数を減じながら、死臭のなかに流れ去った。やがて一部の部隊をこのサゴ林およびヤカチ部落内に残置し、大部の部隊は最終目的地であるベラウ地峡エドレ(注:イドレ)地区に向い南下前進するよう軍命令が下達された。昭和十九年八月も末のころである」---『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、ヤカチ(Yakati)川からイドレ(Idore)村への移動の模様を“南進を続ける幽鬼群”... ...続きを見る

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2011/04/19 00:00
西部ニューギニア・マノクワリ→イドレ転進作戦 イドレ河(1)
「ヤカチ附近サゴ樹林中の生活は、日一日と生きている将兵の数を減じながら、死臭のなかに流れ去った。やがて一部の部隊をこのサゴ林およびヤカチ部落内に残置し、大部の部隊は最終目的地であるベラウ地峡エドレ(注:イドレ)地区に向い南下前進するよう軍命令が下達された。昭和十九年八月も末のころである」---『密林に相食む死の記録 ニューギニヤ』(元陸軍中佐 飛田忠廣著・昭和24年9月10日 東京民報出版社刊)は、ヤカチ(Yakati)川からイドレ(Idore)村への移動の模様を“南進を続ける幽鬼群”... ...続きを見る

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2011/03/13 00:00
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村で歌い継がれる哀悼歌(動画)
たくさんの戦友が亡くなった。飢餓で、そして殺されて。 死体は森に、そして断崖に散らばっている。 ああ、なんという苦難か。 ...続きを見る

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2011/03/12 00:00
西部ニューギニア・ビントゥニ湾サルベ村に瞑る旧日本軍将兵(動画)
67年前のこと。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、ソロン(Sorong)、イドレ(Idore)へ転進させることを決めた。“転進”とは当時の名目。実際は、十分な糧食も持たない敗走だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド人などもいた。... ...続きを見る

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2011/03/11 00:00
西部ニューギニア密林に消えた2万の将兵・マノクワリ転進作戦の今
67年前のこと。昭和19(1944)年7月、西部ニューギニアのマノクワリ(Manokwari)に司令部を置いた第2軍(豊嶋房太郎中将)は、迫る連合軍を前に、同地の兵力の内約2万を、ソロン(Sorong)、イドレ(Idore)へ転進させることを決めた。“転進”とは当時の名目。実際は、十分な糧食も持たない敗走だった。ベラウ(Berau)地峡のイドレ村へ向かったおよそ1万2千(注:1万5千との数値もある)の将兵。この中には、インドネシア人兵補、台湾人軍属、朝鮮半島出身者、インド人などもいた。... ...続きを見る

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2011/03/10 00:00

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