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小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(9)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(9) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/31 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(8)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(8) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/30 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(7)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(7) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/29 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(6)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(6) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/28 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(5)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(5) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/27 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(4)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(4) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/26 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(3)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(3) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/25 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(2)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(2) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/24 00:00
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(1)
小田切重徳著『白骨街道 死の転進 食べること 生きること 死ぬこと』(1) 昭和19(1944)年7月、制空権・制海権を完璧に失ったニューギニア島の日本軍。ホランジア(現ジャヤプラ)、ワクデ島、サルミ、そしてビアク島、ヌンホル島へ飛び石上陸で日本軍を玉砕に追い込む連合軍。ヌンホル島への敵軍上陸を機に、マノクワリ(Manokwari)に司令部を置く第2軍(豊嶋房太郎中将)は、在マノクワリの兵力のおよそ半数を南部のイドレ(Idore)へ転進させた。その数約1万2千名。 ...続きを見る

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2017/03/23 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62) 〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る

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2017/03/22 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61) 〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る

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2017/03/21 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60) 〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る

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2017/03/20 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59) 〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る

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2017/03/19 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58) 〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る

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2017/03/18 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57) 〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る

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2017/03/17 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56) 第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊通訳」の風見秀雄氏が綴った『ヤピナ基地攻撃に加わり詠める』と題する記述がある。長い文章だが、奇襲作戦の過程を読み取ることができる情景が詳細に描かれているので、ここで再現したい。 ...続きを見る

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2017/03/16 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55) 小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関、自らが属した鰐機関、龍機関、梅機関等に関して詳述している。その中から、小泉元少尉が日高岩男少佐指揮下で参加したロンベバイ湖のヤピナ島攻略作戦について以下抜粋したい。 ...続きを見る

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2017/03/15 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54) ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻撃時に4名から成る第二班の舟艇長を務めた。 ...続きを見る

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2017/03/14 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53) 二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日高岩男大尉と徳野明軍曹。日高は昭和19年3月、少佐に、徳野は昭和18年12月、曹長に進級 ...続きを見る

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2017/03/13 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52) 終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。この時計は、ニューギニアで亡くなった日高少佐のものである。 ...続きを見る

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2017/03/12 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51) 北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司令部に打電した。「鰐工作隊は七月三一日払暁ロンベバイ湖ヤピナ島を奇襲攻撃し、該敵の拠点を覆滅せり、わが方の戦死日高少佐以下五名」敵を撤退させ、戦闘には勝利を得た。しかし日高隊長以下尊い戦死者を出した鰐工作隊員は、暗い表情におおわれてしまった。 ...続きを見る

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2017/03/11 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50) 私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない。四人は草の倒れている先を見つめながらこの跡を追った。鰐だ、大鰐の仕業だ。砂浜に着いたわれわれはここで大鰐の足跡を発見した。鰐は村瀬の死体をくわえ、水際まで引きずり出して、ここで食いつくしたのだ。散乱している砂浜から想定してまちがいない。それにしてもなにか遺品が残っているはずだ。 ...続きを見る

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2017/03/10 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49) さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章がもぎ取られ、私が進上した小刀も、握りしめていた右手を開いて持ち去られていたことがわかった。全員は一列に並び、私の号令で黙?をささげた。敵弾は隊長の頭部額に二発、心臓のド真中に三発、さらに腹部に八発、いずれも貫通していた。その傷口からは早くも無数の小さな蛆がうようよと、うごきはじめていた。敵前わずか三〇メートル、弾丸の... ...続きを見る

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2017/03/09 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48) さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から、昭和19(1944)年7月28日〜8月4日の「神工作隊」の動きを見てみよう。 ...続きを見る

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2017/03/08 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47) 三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出来る、といって予定を一日早め、神機関に連絡することもないまま、その夜単独で攻撃を敢行した。なぜそんな決断をしたのかは不明だが、島の周囲には葦がたくさん生えていて、丸木舟がなかなか近づけない。闇の中で上陸地点を探し回っているうちに、先に上陸地点に達した二、三艘の乗員たちが、後続を待たずに喚声を上げて突撃を敢行してしまった... ...続きを見る

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2017/03/07 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46) こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な戦闘が続いていた。拠点では、藤田忠輝軍医中尉や衛生兵によって直ちに負傷者の治療が始まった。時を同じくして、神工作隊の本多文雄憲兵曹長が兵四名と共にカヌーで、新穂智少佐率いる北方攻撃隊の拠点へ向けて伝令として出発した。 ...続きを見る

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2017/03/06 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45) あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」 「お前見たのか」 「ハイ、パッと敵側から私にとびかかっていく者があったので、私は丸太で殴りつけました。すると“おれは小泉だ”とうめきながら湖にバシャンと転落しました。しばらくして敵の銃火が絶えたので、小泉少尉をさがしましたが、どうしても見当たらず、這い上がって島をうろうろしているのでは... ...続きを見る

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2017/03/05 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44) 敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。 ...続きを見る

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2017/03/04 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43) このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 ...続きを見る

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2017/03/03 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42) 「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。 ...続きを見る

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2017/03/02 00:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41)
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41) 『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやかな音のみである』(『鰐部隊とパプア人マンドル』)。奇襲攻撃直前の空気を、徳野明元曹長はそう描く。 ...続きを見る

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2017/03/01 00:00

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インドネシア文化宮(GBI-Tokyo) 2017年3月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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