インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)

アクセスカウンタ

zoom RSS 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)

<<   作成日時 : 2017/03/11 00:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 13 / コメント 0

画像

北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司令部に打電した。「鰐工作隊は七月三一日払暁ロンベバイ湖ヤピナ島を奇襲攻撃し、該敵の拠点を覆滅せり、わが方の戦死日高少佐以下五名」敵を撤退させ、戦闘には勝利を得た。しかし日高隊長以下尊い戦死者を出した鰐工作隊員は、暗い表情におおわれてしまった。

八月二日、湖畔の監視所が、死人の乗っている筏を発見した。腐った流木をしばり合わせ、その上にはらばいになったままただよっていた。行方不明になっていた通信隊の兵隊だ(注:千原恒夫兵長。山形県出身。第36師団(雪兵団)通信隊の福士分隊の一員。福士分隊は鰐工作隊に配属されていた。千原兵長は終戦後の昭和20年9月16日、サルミで病死。秋田県出身で分隊長の福士三郎伍長は、昭和20年11月10日、サルミで病死)。筏は湖畔に引き寄せられた。死人のように見えた筏上の兵隊はまだ生きていた。

「よく帰ってきたな、ご苦労さん」そういう監視兵に返事する力もなく、またすでに聞こえないのかもしれなかった。「おい、しっかりしろ、ここは日本軍の監視所だ」抱きかかえるようにどなってみたが、もはや半死人である。(中略)彼は島から転落したが、流木を集めて筏を組み、両手で水を掻きわけ、三日三晩食もなくついに精も魂もつきはてたが、落命寸前に監視所の視界内に流れついたのであった。藤田軍医の早急適正な処置を受け、死人同様の兵隊も生気をとりもどし、拠点に担送され、多分生命には別条なしということがはっきりしたのである。
(徳野明著『鰐部隊とパプア人マンドル』から抜粋)

昭和19(1944)年8月2日、鰐工作隊によるロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺前哨基地に対する奇襲攻撃(7月31日未明)の二日後、戦闘に参加した、鰐工作隊付の第36師団(雪兵団)通信隊の福士三郎伍長指揮下の分隊の一員であった千原恒夫兵長(注:山形県出身。千原兵長は終戦後の昭和20年9月16日、サルミで病死。秋田県出身の分隊長福士三郎伍長も昭和20年11月10日、サルミで病死)は、瀕死の状態ながらも、自力で流木を組んで筏を作り、鰐工作隊の前進基地に帰還した。

この千原兵長に関して、上官に当たる、第36師団通信隊の中里文吉元軍曹が、『西部ニューギニア戦線 極限の戦場』(久山忍著・2012年12月3日、潮書房光人社刊)に収録された『サルミの戦い』の中で、以下のような証言をしている。同書には、ヤピナ島夜襲に参加した千原兵長が、死期を悟った日高少佐から、旧ロシア皇帝からもらったとされる貴重な腕時計を手渡された逸話が、元上官であった中里さんの話しとして記述されている。すべての内容が千原兵長からの伝聞なのかどうかは不明だが、日高少佐とソ連との関係を偲ばせる貴重な証言であるのでその内容をみてみよう。



西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)
https://youtu.be/qzaMsL7TRpg

画像

昭和19(1944)年11月25日、モロタイ島で日本軍機の攻撃に遭って破壊された米軍飛行艇PBYのOA-10A型機の シリアル番号「44-33875」機。機種に75の番号が。整備兵の表情に笑顔の余裕がある。撮影は、11月25日の数日前と思われる。まさに、この機が、同年7月31日、日高岩男少佐率いる鰐工作隊に夜襲をくらった、ロンベバイ湖ヤピナ島の連合軍水艇基地の隊員救助に向かった。

画像

陸軍中野学校教官時代の日高岩男大尉(当時)

画像

ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

画像


画像

日高岩男大尉(右)と徳野明軍曹(左)。昭和18年10月頃、ニューギニアへ出発前に撮影。日高は昭和19年3月、少佐に、徳野は昭和18年12月、曹長に進級。『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用。

画像

日高岩男少佐の遺品の一つ。岩男と妻ミチエの間に、開戦一年後の昭和17(1942)年12月25日に生まれた長男・武臣(たけおみ)の写真が一枚。厚手のビニールシートに包まれ、丸まった状態だった。

画像


画像


画像

ロンベバイ湖上ヤピナ島の連合軍水艇(前哨)基地。徳野明元曹長著『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用

画像

右はマンベラーモ川。左がロンベバイ湖(Panoramioから引用。撮影者:DmitryTelnov)

画像

マンベラーモ川流域作戦行動図
画像


画像

背広姿の日高岩男。陸軍中野学校を卒業し、西部ニューギニアへ派遣されるまでの、昭和17(1942)〜昭和18(1943)頃の撮影と思われる

画像


画像

後列右よりミチエの実父の高橋正次、左は日高岩男の実母の日高トナ、前列左より日高岩男、日高正代(岩男の末妹)、そして岩男の妻・ミチエと抱きかかえる長男の武臣。昭和18(1943)年11月、日高大尉の西部ニューギニア出征前に撮影されたものと思われる

画像

大尉の襟章を付けた軍服姿の日高岩男(右)と父の平八。おそらく昭和16(1941)年3月頃の撮影と思われる。場所は、今日の宮崎県日南市飫肥

画像


画像

ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地を指さすレオン・サヨリ氏。2015年5月24日撮影。

画像


画像


画像

ヤピナ島遠景。『雪第三十六師団戦誌』より引用。小泉雅氏提供とある。

画像

マンベラーモ川からロンベバイ湖に入る。遠方の丘の手前にヤピナ島が浮かぶ(2015年5月24日、レオン氏撮影)

画像


画像


【参考記事】
『現代ビジネス』賢者の知恵
戦後71年、故郷への帰還を待ち続ける日本兵の骸をどうするべきか
遺骨収集事業の現実と課題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49444
http://gendai.ismedia.jp/preview/0469a7aa76a4a25d83564c946a612a570f5b6657

参考ブログ

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)〜(1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_7.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_4.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_3.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201703/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_24.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_20.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_19.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_18.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_17.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_16.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_15.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_7.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_4.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_3.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_31.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_24.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_20.html

太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201612/article_8.html

終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201608/article_15.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201607/article_27.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201607/article_20.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_3.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_2.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_1.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201604/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_8.html

PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201512/article_31.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201412/article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201411/article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201409/article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画


太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長13 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/u4ghF3-607U

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長12 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/dpPUMcr6Syg

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長11 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/eMSDrA0yYFg

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長10 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/k3Q45m4Ab1I

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長9 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/SFcosVf6JDs

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長8 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/gISKzdCHnzQ

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長7 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/ZzvWSyS1AeM

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長6 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/GkVXs-YDEdA

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長5 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/IAiz3UG32RY

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長4 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/17L4nhXTEnI

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長3 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/pJtPtR1jyiw

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長2 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/kLRsy8wN3j8

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)〜(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea






新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)〜(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea







新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)〜(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea








新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)〜(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea









テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(13件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)
{%爆弾webry%}終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。この時計は、ニューギニアで亡くなった日高少佐のものである。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/11 21:02
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)
{%爆弾webry%}二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 {%上昇webry%}昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日高岩男大尉と徳野明軍曹。日高は昭和19年3月、少佐に、徳野は昭和18年12月、曹長に進級 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/12 10:51
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)
{%爆弾webry%}ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻撃時に4名から成る第二班の舟艇長を務めた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/13 12:25
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)
{%爆弾webry%}小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関、自らが属した鰐機関、龍機関、梅機関等に関して詳述している。その中から、小泉元少尉が日高岩男少佐指揮下で参加したロンベバイ湖のヤピナ島攻略作戦について以下抜粋したい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/14 14:08
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)
{%爆弾webry%}第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊通訳」の風見秀雄氏が綴った『ヤピナ基地攻撃に加わり詠める』と題する記述がある。長い文章だが、奇襲作戦の過程を読み取ることができる情景が詳細に描かれているので、ここで再現したい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/15 10:28
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/16 11:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/17 11:32
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/18 11:12
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/19 10:48
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/20 11:46
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/21 19:21
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(63)
{%爆弾webry%}73年前の今日、昭和19(1944)年7月31日未明、宮崎県飫肥生まれの一人の青年将校が、祖国の遥か南、赤道を越えた西部ニューギニアで、27歳と6ヵ月の生涯を閉じた。祖国に、同じく宮崎県生まれの妻と、5ヵ月後には満2歳になる一人息子を残して。日高岩男少佐(戦死後、中佐に進級)。陸軍士官学校50期卒、陸軍中野学校2甲期卒。工作機関である『鰐機関』の長として、ロンベバイ湖(Danau Rombebai)のヤピナ島(Pulau Yapina)にあった連合軍水艇基地奇襲攻... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/07/31 12:17
終戦72周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
{%爆弾webry%}2017年8月15日。終戦72周年。今年は、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/08/14 18:30

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51) インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる