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zoom RSS 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32)

<<   作成日時 : 2017/02/20 00:00   >>

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「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これらの地域が湿地帯であることは敵もじゅうぶんしょうちの上だ。とすれば、ファーレース山脈の北側だ。「現在地から四〇キロ下流左岸の八〇高地(日高少佐作成のマンベラーモ川流域行動地図上では「40高地」と表記)を偵察拠点とする」すでに隊長は予測していたのか、簡単に決断を下した」徳野明著『鰐部隊とパプア人マンドル』)。昭和19(1944)年6月30日〜7月2日をピオニルビバク(注:現在のマンベラーモ・ラヤ県の県都カソナウェジャ=Kasonawejaと思われる)で過ごした日高岩男少佐は、7月3日、直線距離で約48km北北西の、ロンベバイ湖の西南西に位置する40高地(注:徳野明元曹長は80高地と表記)へ進出した。

パプア州マンベラーモ・ラヤ県の県都カソナウェジャ。飛行場もある。かつての「ピオニルビバク」と思われる。オランダ植民地時代に、オランダ人行政官や探検隊が、露営したことからピオニルビバクと名付けられたものと思われる

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日高少佐が作成したマンベラーモ川流域行動地図。ロンベバイ湖周辺拡大図。左岸に「40高地」と記入されている

「八〇高地とは、マンベラモ河口より約九〇`上流の左岸に位置する小高い密林である。敵機の大編隊が銀翼を連ね、轟々たる爆音を発して毎日西方へ飛ぶのがよく見える地だ。マノクワリかビアク島の爆撃か。ときには敵機はマンベラモ河沿に、ジャングルの葉がちぎれんばかりの低空で突っ込んでくる。われわれの流下をもうキャッチしたのだろうか。静かな神秘の奥地から、一挙に流下した工作隊は、いよいよ決戦のときはせまったと、軍人としての覚悟も新たに、戦闘準備に活発なる行動を展開した。兵団命令による敵飛行場はいずこにありや。まずこの敵飛行場所在の偵察が開始された。広い広い大地、深い深い密林、その陸地踏査は困難をきわめた」(徳野明元曹長著『鰐部隊とパプア人マンドル』)。

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「神工作隊」隊長の新穂智少佐。新穂は陸軍中野学校の第一期卒業生

鰐工作隊が40高地(80高地)に拠点を構えた7月3日〜20日の間、想定外の出来事があった。それは、マンベラーモ川を下ってきた、新穂智少佐率いる36名から成る「神工作隊」の到来であった。時は、7月11日。ホランジア(現ジャヤプラ)を拠点とした「神工作隊(神機関・神部隊)」は、昭和19(1944)年4月22日の連合軍によるホランジア上陸を受け、第36師団(雪兵団)司令部が置かれたサルミに転進するため、マンベラーモ川最上流部から、自ら作った6隻の丸木舟(カヌー)でイーデンブルグ川(現在はTaritatu=タリタウ川)を下り、ローハール川(現在はTariku=タリク川)との合流点からマンベラーモ川へ入り、バタビア、エデー、マリネの三大瀑布を征し、「鰐工作隊」が根拠地を設けた40高地付近までの大探検・冒険行を成し遂げてやってきたのであった。


【40高地もしくは80高地に関しては以下のブログ参照】
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(11)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_30.html

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マンベラモ河支流付近の急流をカヌーで下る鰐工作隊の偵察隊・高荷義之画(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)
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【バタビア瀑布に関する参考ブログ】
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(10)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_29.html


西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)
https://youtu.be/qzaMsL7TRpg

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ロンベバイ湖上ヤピナ島の連合軍水艇(前哨)基地。徳野明元曹長著『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用

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昭和19(1944)年11月25日、モロタイ島で日本軍機の攻撃に遭って破壊された米軍飛行艇PBYのOA-10A型機の シリアル番号「44-33875」機。機種に75の番号が。整備兵の表情に笑顔の余裕がある。撮影は、11月25日の数日前と思われる。まさに、この機が、同年7月31日、日高岩男少佐率いる鰐工作隊に夜襲をくらった、ロンベバイ湖ヤピナ島の連合軍水艇基地の隊員救助に向かった。

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右はマンベラーモ川。左がロンベバイ湖(Panoramioから引用。撮影者:DmitryTelnov)

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マンベラーモ川流域作戦行動図
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日高岩男大尉(右)と徳野明軍曹(左)。昭和18年10月頃、ニューギニアへ出発前に撮影。日高は昭和19年3月、少佐に、徳野は昭和18年12月、曹長に進級。『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用。

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背広姿の日高岩男。陸軍中野学校を卒業し、西部ニューギニアへ派遣されるまでの、昭和17(1942)〜昭和18(1943)頃の撮影と思われる

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ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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後列右よりミチエの実父の高橋正次、左は日高岩男の実母の日高トナ、前列左より日高岩男、日高正代(岩男の末妹)、そして岩男の妻・ミチエと抱きかかえる長男の武臣。昭和18(1943)年11月、日高大尉の西部ニューギニア出征前に撮影されたものと思われる

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ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地を指さすレオン・サヨリ氏。2015年5月24日撮影。

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昭和18年10月、ニューギニアへ出発前の日高大尉(当時・右)と徳野軍曹(当時・左)。日高大尉は19年3月少佐に進級、徳野軍曹は18年12月曹長に進級。画像は徳野明氏著の『鰐部隊とパプア人マンドル』から引用
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ヤピナ島遠景。『雪第三十六師団戦誌』より引用。小泉雅氏提供とある。

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マンベラーモ川からロンベバイ湖に入る。遠方の丘の手前にヤピナ島が浮かぶ(2015年5月24日、レオン氏撮影)

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【参考記事】
『現代ビジネス』賢者の知恵
戦後71年、故郷への帰還を待ち続ける日本兵の骸をどうするべきか
遺骨収集事業の現実と課題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49444
http://gendai.ismedia.jp/preview/0469a7aa76a4a25d83564c946a612a570f5b6657

参考ブログ

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31)〜(1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_19.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_18.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_17.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_16.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_15.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_7.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_4.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_3.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_31.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_24.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_20.html

太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201612/article_8.html

終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201608/article_15.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201607/article_27.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201607/article_20.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_3.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_2.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_1.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201604/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_8.html

PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201512/article_31.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201412/article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201411/article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201409/article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画


太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長13 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/u4ghF3-607U

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長12 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/dpPUMcr6Syg

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長11 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/eMSDrA0yYFg

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長10 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/k3Q45m4Ab1I

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長9 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/SFcosVf6JDs

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長8 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/gISKzdCHnzQ

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長7 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/ZzvWSyS1AeM

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長6 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/GkVXs-YDEdA

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長5 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/IAiz3UG32RY

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長4 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/17L4nhXTEnI

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長3 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/pJtPtR1jyiw

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長2 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/kLRsy8wN3j8

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)〜(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea






新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)〜(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea







新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)〜(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea








新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)〜(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea









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タイトル (本文) ブログ名/日時
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33)
{%爆弾webry%}「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」 叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にまじって赤茶色の服も見える。あれはインドネシア軍警だ。 拠点に着いたカヌーからは、軍刀を握りしめた男がまッ先に上陸してきた。 「アッ、新穂少佐殿だ。木田曹長もいる」 インドネシア人軍警もつづいた。 一行は第二軍司令部直轄部隊として、西部ニューギニアの最前線ホーランジア地区工作隊として派遣さ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/19 20:40
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34)
{%爆弾webry%}「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三日のうちに撤収して鰐機関に合流するというので、我々神機関も同行しようということで、その下準備に行ったのだ。小川の対岸に、鰐機関が残していった畑があって、茄子、パパイヤ等が生っていた。青いパパイヤを塩もみにしてお新香にしたり、茄子の味噌汁を作ったり、支給された米を食べて、久しぶりに人間らしい食事... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/21 11:15
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35)
{%爆弾webry%}「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯するのには好都合なのだ。マンベラモ河とつながっているというが、マンベラモの濁流に比べ、ここの水は気味が悪いほど澄んでいる。かなり深そうだ。昆布のような長い藻が揺らめいているのが底の方までハッキリ見える。水温もマンベラモよりずっと低く、水浴には冷たすぎるくらいだ」---深津元衛生軍曹(注:昭和19... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/22 13:46
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36)
{%爆弾webry%}昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバク(注:現在のマンベラーモ・ラヤ県の県都カソナウェジャ=Kasonawejaと思われる)まで下った。そして、7月3日、ロンベバイ湖の西南西に位置する40高地(注:徳野明元曹長は80高地と表記)へ辿りついた。雪兵団(第36師団)の命令により、初期の目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖進出を中止し、急... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/23 11:09
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37)
{%爆弾webry%}ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパプア人マンドル』に記録されている。宣撫工作隊長としての極めて優れた資質・姿勢についての記述に溢れている。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/24 22:24
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38)
{%爆弾webry%}「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る第2小隊の行動に関して、『歩兵第二百二十三聯隊史』(昭和55年8月24日・秋田県雪部隊親交会発行)は、ヤピナ島攻略に出撃した四隻からなるカヌー部隊について以下のように記録している。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/25 16:55
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(39)
{%爆弾webry%}イーデンブルグ(現タリタウ)川、そしてマンベラーモ川を下ってきた新穂智(さとる)少佐率いる36名から成る「神工作隊」が、ロンベバイ湖のヤピナ島にある米豪兵士から成る連合軍水艇前哨基地の攻略作戦を練っていた日高岩男少佐指揮下の「鰐工作隊」と合流したのは、昭和19(1944)年7月11日。以降、サルミにある、田上八郎中将指揮下の雪兵団(第36師団)司令部からの命令に基づいて、「神工作隊」は「鰐工作隊」の指揮下に入ることになった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/26 11:58
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(40)
{%爆弾webry%}「七月三一日(注:昭和19(1944)年7月31日)午前一時、暗夜の湖上を隊長のカヌーを先頭に、四隻(注:6隻との情報もある)の丸木舟は、第一の目標、孤島の南側に集結した。音も立てず、声も発せず、四隻のカヌーはただ寄りそってただよい、刻一刻と時の過ぎるのを待った。この深夜の静寂を破って、各舟艇長集合と、隊長の低い声が流れた」---第三舟艇長を務めた徳野明元曹長が自著『鰐部隊とパプア人マンドル』でヤピナ島攻略直前の状況を描く。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/27 21:04
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41)
{%爆弾webry%}『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやかな音のみである』(『鰐部隊とパプア人マンドル』)。奇襲攻撃直前の空気を、徳野明元曹長はそう描く。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/28 16:18
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42)
{%爆弾webry%}「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/01 13:56
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43)
{%爆弾webry%}このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/02 17:29
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44)
{%爆弾webry%}敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/03 21:44
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)
{%爆弾webry%}あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」 「お前見たのか」 「ハイ、パッと敵側から私にとびかかっていく者があったので、私は丸太で殴りつけました。すると“おれは小泉だ”とうめきながら湖にバシャンと転落しました。しばらくして敵の銃火が絶えたので、小泉少尉をさがしましたが、どうしても見当たらず、這い上がって... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/04 12:45
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)
{%爆弾webry%}こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な戦闘が続いていた。拠点では、藤田忠輝軍医中尉や衛生兵によって直ちに負傷者の治療が始まった。時を同じくして、神工作隊の本多文雄憲兵曹長が兵四名と共にカヌーで、新穂智少佐率いる北方攻撃隊の拠点へ向けて伝令として出発した。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/05 10:56
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)
{%爆弾webry%}三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出来る、といって予定を一日早め、神機関に連絡することもないまま、その夜単独で攻撃を敢行した。なぜそんな決断をしたのかは不明だが、島の周囲には葦がたくさん生えていて、丸木舟がなかなか近づけない。闇の中で上陸地点を探し回っているうちに、先に上陸地点に達した二、三艘の乗員たちが、後続を待たずに喚声を上... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/06 16:20
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)
{%爆弾webry%}さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から、昭和19(1944)年7月28日〜8月4日の「神工作隊」の動きを見てみよう。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/07 10:35
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)
{%爆弾webry%}さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章がもぎ取られ、私が進上した小刀も、握りしめていた右手を開いて持ち去られていたことがわかった。全員は一列に並び、私の号令で黙?をささげた。敵弾は隊長の頭部額に二発、心臓のド真中に三発、さらに腹部に八発、いずれも貫通していた。その傷口からは早くも無数の小さな蛆がうようよと、うごきはじめていた。敵前... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/08 10:08
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)
{%爆弾webry%}私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない。四人は草の倒れている先を見つめながらこの跡を追った。鰐だ、大鰐の仕業だ。砂浜に着いたわれわれはここで大鰐の足跡を発見した。鰐は村瀬の死体をくわえ、水際まで引きずり出して、ここで食いつくしたのだ。散乱している砂浜から想定してまちがいない。それにしてもなにか遺品が残っているはずだ。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/09 10:17
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)
{%爆弾webry%}北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司令部に打電した。「鰐工作隊は七月三一日払暁ロンベバイ湖ヤピナ島を奇襲攻撃し、該敵の拠点を覆滅せり、わが方の戦死日高少佐以下五名」敵を撤退させ、戦闘には勝利を得た。しかし日高隊長以下尊い戦死者を出した鰐工作隊員は、暗い表情におおわれてしまった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/10 19:30
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)
{%爆弾webry%}終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。この時計は、ニューギニアで亡くなった日高少佐のものである。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/11 21:03
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)
{%爆弾webry%}二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 {%上昇webry%}昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日高岩男大尉と徳野明軍曹。日高は昭和19年3月、少佐に、徳野は昭和18年12月、曹長に進級 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/12 10:51
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)
{%爆弾webry%}ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻撃時に4名から成る第二班の舟艇長を務めた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/13 12:26
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)
{%爆弾webry%}小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関、自らが属した鰐機関、龍機関、梅機関等に関して詳述している。その中から、小泉元少尉が日高岩男少佐指揮下で参加したロンベバイ湖のヤピナ島攻略作戦について以下抜粋したい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/14 14:09
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)
{%爆弾webry%}第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊通訳」の風見秀雄氏が綴った『ヤピナ基地攻撃に加わり詠める』と題する記述がある。長い文章だが、奇襲作戦の過程を読み取ることができる情景が詳細に描かれているので、ここで再現したい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/15 10:29
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/16 11:00
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/17 11:32
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/18 11:13
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/19 10:48
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/20 11:46
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/21 19:22
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(63)
{%爆弾webry%}73年前の今日、昭和19(1944)年7月31日未明、宮崎県飫肥生まれの一人の青年将校が、祖国の遥か南、赤道を越えた西部ニューギニアで、27歳と6ヵ月の生涯を閉じた。祖国に、同じく宮崎県生まれの妻と、5ヵ月後には満2歳になる一人息子を残して。日高岩男少佐(戦死後、中佐に進級)。陸軍士官学校50期卒、陸軍中野学校2甲期卒。工作機関である『鰐機関』の長として、ロンベバイ湖(Danau Rombebai)のヤピナ島(Pulau Yapina)にあった連合軍水艇基地奇襲攻... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/07/31 12:17
終戦72周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
{%爆弾webry%}2017年8月15日。終戦72周年。今年は、昨年の同月同日のブログを再録したい。ニューギニアの大地に斃れた、二人の陸軍少佐の話だ。二人には共通項が多い。まず、二人とも九州男児。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/08/14 18:37

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