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zoom RSS 西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(27)

<<   作成日時 : 2017/02/15 00:00   >>

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米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)の戦友会のホームページには、同隊のミッション・リポートや思い出の写真が多数掲載されているが、その中で1944年7月31日の緊急救助活動に関し、負傷者の様子や救助の過程も記録されている。ロンベバイ湖のヤピナ島での戦闘においては、連合軍の前哨基地(水艇基地)を、日高岩男少佐率いる鰐工作隊が、自らの命と引き換えに、敗退させたわけだが、太平洋戦争という大きな枠内では、日本は無条件降伏を受け入れ、敗戦国となった。記述の中では、当時それが連合国軍側にとっては当り前な呼称であっただろうが、日本兵、日本軍を“ジャップ”と表記している。原文のニュアンスをできるだけ忠実に翻訳を試みたが、不完全な部分があるかもしれない。この点、読者の指摘を待ちたい。以下、『MISSION REPORTS - RESCUES - 10 31 JULY 1944』の一部抜粋翻訳。


敵兵は、およそ40マイルの地点からボートで近づき、歩哨にこっそりと近づき、ナイフで彼に重傷を負わせ、そして“バンザイ”を叫びながらハンモックで就寝中の兵を襲った。兵らは闇討ちを食らい、武器を探すことはできずに、拳と棍棒で応戦。この間、一人の米兵がおよそ300ヤードほどの湖岸までこっそりと離れ、そこで照明弾を打ち上げ、一時的に“ジャップ”を面食らわせた。米兵と豪兵は、素早く集まり、トミー銃(注:軽機関銃)をつかみ、将校(注:日高岩男少佐)と二人の兵(注:杉沢軍曹、村瀬兵長)を殺し、捕虜となる一人(注:小泉雅少尉)に負傷を負わせた。

残りのジャップ勢力は散り散りになり、幾人かはジャングルに隠れ、その他は彼らのカヌーにたどり着こうと試みた。照明弾が落ちるまでに、15名の敵兵を数えた。夜が明けるまでの間、防御側は、明らかに糾合しようと試みるジャップが互いに呼び合っている声を聞いた。しかし、負傷した三名の兵は、救助機が到着し、全員が乗機するまで、成功裏に彼らを退けた。


西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(1)
https://youtu.be/qzaMsL7TRpg

キャンプは修羅場と化していた。三名の死んだジャップは、陣地にに横たわっていた。他の者たちは、湖岸とジャングルの端に配置されていた。生き残った者の内、7名はナイフ、サーベル、銃剣などによって重傷を負ったが、誰も殺されなかった。応急処置兵は、自ら負傷を負ったものの、負傷者に服を着せて、彼らをできるだけ快適にした。救助機が到着すると、医務官が上陸し、負傷兵を診て、モルフィネと点滴を投与し、撤退に向け準備した。負傷兵は一名ずつ救命筏に乗せられ、救助機へ搭乗。無線機や個人装備は湖の中に投げ捨て、あるいは陣地と共に焼却された。
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Squadron OA-10A SerNo 44-33876 on take-off after a rescue (Courtesy Mary Wientjes)。米陸軍航空隊第2緊急救助中隊(2nd ERS=Emergency Rescue Squadron)所属の飛行艇OA-10A型機でシリアル番号44-33876機。ロンベバイ湖に着水・離水したシリアル番号「44-33875」機と同タイプ。

全員が搭乗すると、機は水深が深い場所へ移動、そこで着水に際して着陸装置にまとわりついた水草を外した。かなり重い装備が機外に捨てられ、500ガロンのガソリンも湖上へ投棄された後、三回目の試みで離水に成功した。離水することができるまでの過程で、湖岸沿いに大勢のジャップが目撃されたが、銃撃は双方の側からなかった。湖岸からの距離はおよそ1000ヤード(約914メートル)。生存者は、オウィ島へ運ばれ、待機していた救急車で第92総合病院へ移送された。生存者は言った『我々は昼光とPBYに祈った。もしも天国がPBYのような何かに見えるならば、我々はやり方を変えるつもりです』


DFC(Distinguished Flying Cross=殊勲飛行十字章・Oak-Leaf Cluste)勲章を授与された、ヤピナ島救出作戦の飛行艇・PBYの「OA-10A」型機のシリアル番号「44-33875」機のパイロットGerard F.Wientje少佐(左)。右は、同時受賞した別機のGeorge A. Barnes大尉。(Courtesy Guy Allbright))

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1944年11月以前、すなわちモロタイ島で11月25日に日本軍機の攻撃を受けて破損する以前に撮影された飛行艇・PBYの「OA-10A」型機のシリアル番号「44-33875」機。Lieutenant Frederick F. Hoss stands atop OA-10A SerNo 44-33875 sometime before November 1944. This aircraft was destroyed in a nuisance raid. Read the story. Lieutenant Harry Remington is shown in the foreground sitting on the wing as local tribesmen paddle their canoes alongside. (Courtesy Bill Harves)

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1944年11月25日、モロタイ島で日本軍機の攻撃を受けて破損した飛行艇・PBYの「OA-10A」型機のシリアル番号「44-33875」機の残骸。
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ロンベバイ湖上ヤピナ島の連合軍水艇(前哨)基地。徳野明元曹長著『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用

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昭和19(1944)年11月25日、モロタイ島で日本軍機の攻撃に遭って破壊された米軍飛行艇PBYのOA-10A型機の シリアル番号「44-33875」機。機種に75の番号が。整備兵の表情に笑顔の余裕がある。撮影は、11月25日の数日前と思われる。まさに、この機が、同年7月31日、日高岩男少佐率いる鰐工作隊に夜襲をくらった、ロンベバイ湖ヤピナ島の連合軍水艇基地の隊員救助に向かった。

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右はマンベラーモ川。左がロンベバイ湖(Panoramioから引用。撮影者:DmitryTelnov)

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マンベラーモ川流域作戦行動図
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日高岩男大尉(右)と徳野明軍曹(左)。昭和18年10月頃、ニューギニアへ出発前に撮影。日高は昭和19年3月、少佐に、徳野は昭和18年12月、曹長に進級。『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用。

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背広姿の日高岩男。陸軍中野学校を卒業し、西部ニューギニアへ派遣されるまでの、昭和17(1942)〜昭和18(1943)頃の撮影と思われる

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ヤピナ島攻撃略図(『鰐部隊とパプア人マンドル』より引用)

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後列右よりミチエの実父の高橋正次、左は日高岩男の実母の日高トナ、前列左より日高岩男、日高正代(岩男の末妹)、そして岩男の妻・ミチエと抱きかかえる長男の武臣。昭和18(1943)年11月、日高大尉の西部ニューギニア出征前に撮影されたものと思われる

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ヤピナ島の日高岩男少佐の埋葬地を指さすレオン・サヨリ氏。2015年5月24日撮影。

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昭和18年10月、ニューギニアへ出発前の日高大尉(当時・右)と徳野軍曹(当時・左)。日高大尉は19年3月少佐に進級、徳野軍曹は18年12月曹長に進級。画像は徳野明氏著の『鰐部隊とパプア人マンドル』から引用
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ヤピナ島遠景。『雪第三十六師団戦誌』より引用。小泉雅氏提供とある。

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マンベラーモ川からロンベバイ湖に入る。遠方の丘の手前にヤピナ島が浮かぶ(2015年5月24日、レオン氏撮影)

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【参考記事】
『現代ビジネス』賢者の知恵
戦後71年、故郷への帰還を待ち続ける日本兵の骸をどうするべきか
遺骨収集事業の現実と課題
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49444
http://gendai.ismedia.jp/preview/0469a7aa76a4a25d83564c946a612a570f5b6657

参考ブログ

西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(26)〜(1)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_14.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_13.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_12.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_11.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_10.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_9.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_8.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_7.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_6.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_5.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_4.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_3.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_2.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201702/article_1.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_31.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_30.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_29.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_28.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_27.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_26.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_25.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_24.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_23.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_22.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_21.html
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201701/article_20.html

太平洋戦争開戦から75周年。真珠湾を訪問する首相。“戦後”は終わるのか。
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201612/article_8.html

終戦71周年に想う中野学校卒業生の日高岩男少佐と新穂智少佐
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201608/article_15.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(6) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201607/article_27.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(5) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201607/article_20.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(4) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_3.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(3) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_2.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か?(2) Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201605/article_1.html

鰐工作隊の隊長日高岩男少佐のお墓発見か? Mayor Iwao Hidaka
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201604/article_31.html

東部インドネシアの旧日本軍航空基地(36) Bandara Dai Nippon(36 ロンベバイ湖
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200901/article_8.html

PAMIC=パミック=アジア太平洋戦争行方不明者情報センター設立
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201512/article_31.html

西部ニューギアから新たな旧日本兵の遺骨情報が Nasib Tentara Dai Nippon
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201412/article_17.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(5)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201411/article_16.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(4)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_29.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(3)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_25.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか(2)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_24.html
西部ニューギニアから祖国帰還を果たしたとされる“ご遺骨”だが
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_10.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵 こんな遺骨収集でいいのか
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201410/article_8.html
西部ニューギニアに瞑る旧日本兵、そして生き続ける三八歩兵銃
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/201409/article_26.html
「大東亜戦争」関連ブログ記事
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/theme/43f9afaef5.html

参考動画


太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長13 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/u4ghF3-607U

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長12 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/dpPUMcr6Syg

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長11 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/eMSDrA0yYFg

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長10 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/k3Q45m4Ab1I

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長9 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/SFcosVf6JDs

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長8 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/gISKzdCHnzQ

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長7 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/ZzvWSyS1AeM

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長6 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/GkVXs-YDEdA

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長5 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/IAiz3UG32RY

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長4 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/17L4nhXTEnI

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長3 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/pJtPtR1jyiw

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長2 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/kLRsy8wN3j8

太田敏子さんが語る故新穂智少佐・神機関工作隊長 Major Satoru Niiho & Toshiko Ota
https://youtu.be/mTifvX_dI7A

新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第5部」 (37)〜(33) Major Satoru Niiho's West New Guinea






新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第4部」 (32)〜(27) Major Satoru Niiho's West New Guinea







新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第3部」 (26)〜(20) Major Satoru Niiho's West New Guinea








新穂智少佐の西部ニューギニア横断記「第2部」 (19)〜(11) Major Satoru Niiho's West New Guinea









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タイトル (本文) ブログ名/日時
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(28)
{%爆弾webry%}さて、話しを“マンベラーモ艦隊”に戻そう。日高岩男少佐自身が描いたマンベラーモ川流域行動記録図に沿って、鰐工作隊がマンベラーモ川合流点から出発して同大河を下り、ピオニルビバク付近、そしてロンベバイ湖ヤピナ島の連合軍水艇基地(前哨基地)奇襲攻撃に至るまでの過程だ。既述のように、鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、昭和19(1944)年5月4日〜6月22日、約50日間にわたって、合流点拠点に滞在し、両河川の流域偵察・調査を実施する傍ら、最終目的地の、白雪山脈こと中央高地のハ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/15 17:41
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(29)
{%爆弾webry%}「現在地点合流点は日高が守る。東方イーデンブルグ偵察隊長に徳野曹長、西方ローハル偵察隊長に小泉少尉、各々偵察隊長に命ず、出発は明日」。昭和19(1944)年5月31日、鰐工作隊(鰐機関・鰐部隊)の隊長である日高岩男少佐は、雪兵団(第36師団・田上八郎中将)司令部の命令に従い、マンベラーモ川の二つの支流一帯を調査すべく、二人の部下に偵察行を命じた。徳野明元曹長は、自著『鰐部隊とパプア人マンドル』によれば、翌6月1日、高谷上等兵、石田一等兵、インドネシア人軍警のユーヤ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/16 12:39
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(30)
{%爆弾webry%}マンベラーモ川の二つの大きな支流を踏査し、詳細な兵要地誌をまとめた鰐工作隊。合流点の拠点では、次なる目標、すなわち中央高地へ足を踏み入れ、最終目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖に到達する大冒険行に向けて、日高岩男少佐を中心に計画が練られていた。一方、地元のブルメソ族との交流もさらに深化し、毎日のように付近の村人が拠点を訪ねてくるようになっていた。しかし、そんなある夜、サルミの雪兵団(第36師団・田上八郎中将)司令部から再び緊急電報が入った。内容は「敵はピオニルビバク... ...続きを見る
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2017/02/17 11:22
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(31)
{%爆弾webry%}マンベラーモ川最難関のバタビア瀑布における転覆事故によって、鰐工作隊は三名の犠牲者を出してしまった。犠牲者の慰霊祭は、昭和19(1944)年6月26日、日高隊長の手によって厳粛に執り行われた。この遭難事故を受け、日高岩男少佐は幹部を集め、対策を協議した。そして、徳野明曹長の案が採用されることとなった。すなわち、カヌーの使用は止め、筏で下るとする案だ。「バタビア瀑布(注:上流から見て五番目の最大落差の場所)を避け、その下流から出発します。そしてエデー瀑布の左を狙い、... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/18 11:15
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(32)
{%爆弾webry%}「その夜、薄暗いローソクの灯の下で、隊長を中心に幹部が集まり、地図を追って、次期進出拠点の作戦を練った。敵が飛行場を設定するには、マンベラモ両域と海岸線を避けるであろう。これらの地域が湿地帯であることは敵もじゅうぶんしょうちの上だ。とすれば、ファーレース山脈の北側だ。「現在地から四〇キロ下流左岸の八〇高地(日高少佐作成のマンベラーモ川流域行動地図上では「40高地」と表記)を偵察拠点とする」すでに隊長は予測していたのか、簡単に決断を下した」徳野明著『鰐部隊とパプア人... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/19 11:03
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(33)
{%爆弾webry%}「隊長殿、大型のカヌーが下ってきます。敵か友軍かまだわかりません」 上流の監視所から伝令の報告がはいった。「オーイ、オーイ」 叫ぶ声はたしかに日本軍らしい。服装も日本製にまじって赤茶色の服も見える。あれはインドネシア軍警だ。 拠点に着いたカヌーからは、軍刀を握りしめた男がまッ先に上陸してきた。 「アッ、新穂少佐殿だ。木田曹長もいる」 インドネシア人軍警もつづいた。 一行は第二軍司令部直轄部隊として、西部ニューギニアの最前線ホーランジア地区工作隊として派遣さ... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/19 20:40
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(34)
{%爆弾webry%}「翌七月八日(注:昭和19(1944)年)、機関長(注:新穂智少佐)は連絡のため、下流の鰐機関本部へ出かけて行った。この警備隊(注:川上に設置された鰐工作隊の警備隊)も二、三日のうちに撤収して鰐機関に合流するというので、我々神機関も同行しようということで、その下準備に行ったのだ。小川の対岸に、鰐機関が残していった畑があって、茄子、パパイヤ等が生っていた。青いパパイヤを塩もみにしてお新香にしたり、茄子の味噌汁を作ったり、支給された米を食べて、久しぶりに人間らしい食事... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/21 11:15
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(35)
{%爆弾webry%}「鰐機関の兵舎の裏を二百メートルほど行くと、ロンベバイ湖の水辺に出る。入り組んだところなので、遠くの方は見えない。ということは遠くの方からもこちらが見えないから、水浴や洗濯するのには好都合なのだ。マンベラモ河とつながっているというが、マンベラモの濁流に比べ、ここの水は気味が悪いほど澄んでいる。かなり深そうだ。昆布のような長い藻が揺らめいているのが底の方までハッキリ見える。水温もマンベラモよりずっと低く、水浴には冷たすぎるくらいだ」---深津元衛生軍曹(注:昭和19... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/22 13:47
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(36)
{%爆弾webry%}昭和19(1944)年6月23日午前1時、マンベラーモ川上流の合流点を出発し、6月30日午前8時、最大難所のバタビア瀑布を発った鰐工作隊隊長の日高岩男少佐は、同日ピオニルビバク(注:現在のマンベラーモ・ラヤ県の県都カソナウェジャ=Kasonawejaと思われる)まで下った。そして、7月3日、ロンベバイ湖の西南西に位置する40高地(注:徳野明元曹長は80高地と表記)へ辿りついた。雪兵団(第36師団)の命令により、初期の目的地であるハベマ(ハッヘマ)湖進出を中止し、急... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/23 11:09
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(37)
{%爆弾webry%}ヤピナ島の敵水艇前哨基地に対する攻略作戦が、鰐工作隊の日高岩男少佐と神工作隊の新穂智少佐との間で協議されていた頃の、日高少佐の人柄を偲ばせるエピソードが、徳野著の『鰐部隊とパプア人マンドル』に記録されている。宣撫工作隊長としての極めて優れた資質・姿勢についての記述に溢れている。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/24 22:24
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(38)
{%爆弾webry%}「鰐工作隊」付けの警備隊として拠点に残置された、第223連隊(吉野直靖大佐)の第11中隊(吉田正四郎大尉・1小隊欠)の藤井吉治少尉(注:秋田県八郎潟出身)率いる20名から成る第2小隊の行動に関して、『歩兵第二百二十三聯隊史』(昭和55年8月24日・秋田県雪部隊親交会発行)は、ヤピナ島攻略に出撃した四隻からなるカヌー部隊について以下のように記録している。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/25 16:56
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(39)
{%爆弾webry%}イーデンブルグ(現タリタウ)川、そしてマンベラーモ川を下ってきた新穂智(さとる)少佐率いる36名から成る「神工作隊」が、ロンベバイ湖のヤピナ島にある米豪兵士から成る連合軍水艇前哨基地の攻略作戦を練っていた日高岩男少佐指揮下の「鰐工作隊」と合流したのは、昭和19(1944)年7月11日。以降、サルミにある、田上八郎中将指揮下の雪兵団(第36師団)司令部からの命令に基づいて、「神工作隊」は「鰐工作隊」の指揮下に入ることになった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/26 11:58
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(40)
{%爆弾webry%}「七月三一日(注:昭和19(1944)年7月31日)午前一時、暗夜の湖上を隊長のカヌーを先頭に、四隻(注:6隻との情報もある)の丸木舟は、第一の目標、孤島の南側に集結した。音も立てず、声も発せず、四隻のカヌーはただ寄りそってただよい、刻一刻と時の過ぎるのを待った。この深夜の静寂を破って、各舟艇長集合と、隊長の低い声が流れた」---第三舟艇長を務めた徳野明元曹長が自著『鰐部隊とパプア人マンドル』でヤピナ島攻略直前の状況を描く。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/27 21:04
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(41)
{%爆弾webry%}『「出発」ヤピナ島の上空、わずかな星の光をたよって、四隻の丸木舟は一列縦隊で、力強く前進を開始した。夜襲には絶好の闇夜だ。聞ゆるはただ四隻のカヌーのオールの水面をかくひそやかな音のみである』(『鰐部隊とパプア人マンドル』)。奇襲攻撃直前の空気を、徳野明元曹長はそう描く。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/02/28 16:18
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(42)
{%爆弾webry%}「もとの位置につけ」隊長の命令がきこえた。すでに同志打ちの危険があった。隊長はそれを懸念したのだ。隊長の命令を耳にしたわれわれは湖岸の方に退く。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/01 13:56
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(43)
{%爆弾webry%}このとき敵の銃座は、ふたたび火を吹いた。「オーイ、誰か手榴弾を持っているか」 「一発だけ残っております」 最左翼の村瀬兵長が手探りで私の手に渡した。「いいか、おれが銃座に投げ込んだら同時に突撃だ」 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/02 17:29
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(44)
{%爆弾webry%}敵機の爆音にフトわれにかえった。水上機がサッと着水していった。夜は白々と明けていた。ここはどこだ。「痛いよ、痛いよ」という声。寝ているのはカヌーのなかだ。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/03 21:44
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(45)
{%爆弾webry%}あの裂皐の叫びがはっきりと耳に残っている。「小泉少尉は、誰か知らんか」 「ハイ、私が知っております」 そう言ってその兵隊は黙りこんだ。 「どうした」 「ハイ、小泉少尉は湖に転落行方不明になりました」 「お前見たのか」 「ハイ、パッと敵側から私にとびかかっていく者があったので、私は丸太で殴りつけました。すると“おれは小泉だ”とうめきながら湖にバシャンと転落しました。しばらくして敵の銃火が絶えたので、小泉少尉をさがしましたが、どうしても見当たらず、這い上がって... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/04 12:45
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(46)
{%爆弾webry%}こうして、四隻のカヌーが鰐工作隊の前進基地に戻ったのは、昭和19(1944)年7月31日の夕刻のことだった。終戦まではあと1年と半月。西部ニューギニア戦線では、まだまだ熾烈な戦闘が続いていた。拠点では、藤田忠輝軍医中尉や衛生兵によって直ちに負傷者の治療が始まった。時を同じくして、神工作隊の本多文雄憲兵曹長が兵四名と共にカヌーで、新穂智少佐率いる北方攻撃隊の拠点へ向けて伝令として出発した。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/05 10:56
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(47)
{%爆弾webry%}三十日夜半、ヤピナ島近くのジャングルの岸辺に集結した鰐機関の人々は、明日の夜までこんな所で待機していて、もし発見されたら水の泡だ、神機関の応援がなくても我々だけで十分攻撃は出来る、といって予定を一日早め、神機関に連絡することもないまま、その夜単独で攻撃を敢行した。なぜそんな決断をしたのかは不明だが、島の周囲には葦がたくさん生えていて、丸木舟がなかなか近づけない。闇の中で上陸地点を探し回っているうちに、先に上陸地点に達した二、三艘の乗員たちが、後続を待たずに喚声を上... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/06 16:21
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(48)
{%爆弾webry%}さて、再度、神工作隊隊長の新穂智少佐が、戦後、公判資料として書き上げた『西部ニューギニア横断記』の「第五部未完(自昭和19年5月27日至昭和19年6月6日)」の巻末備忘録から、昭和19(1944)年7月28日〜8月4日の「神工作隊」の動きを見てみよう。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/07 10:35
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(49)
{%爆弾webry%}さっそく遺体の捜索をはじめた。先ず第一に隊長の絶叫した地点を探した。そこにはまさしく、隊長の壮烈なる戦死を物語る変り果てた姿があった。正装した隊長の軍服からは、陸軍少佐の襟章がもぎ取られ、私が進上した小刀も、握りしめていた右手を開いて持ち去られていたことがわかった。全員は一列に並び、私の号令で黙?をささげた。敵弾は隊長の頭部額に二発、心臓のド真中に三発、さらに腹部に八発、いずれも貫通していた。その傷口からは早くも無数の小さな蛆がうようよと、うごきはじめていた。敵前... ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/08 10:08
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(50)
{%爆弾webry%}私のそばで倒れた村瀬兵長の遺体がない。倒れたところから湖水に向って葦も草も、全部なぎ倒されている。不思議だ。かりに村瀬が這って行ったとしても、こんな大きな道はつくるわけがない。四人は草の倒れている先を見つめながらこの跡を追った。鰐だ、大鰐の仕業だ。砂浜に着いたわれわれはここで大鰐の足跡を発見した。鰐は村瀬の死体をくわえ、水際まで引きずり出して、ここで食いつくしたのだ。散乱している砂浜から想定してまちがいない。それにしてもなにか遺品が残っているはずだ。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/09 10:17
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(51)
{%爆弾webry%}北方攻撃隊(注:新穂智少佐率いる神工作隊)は、約束どおりの日時にヤピナ島へ奇襲上陸したが、敵はすでに撤退していることを確認して帰還していた。私の戦死者確認偵察を待って、新穂少佐は電文を起草し、兵団司令部に打電した。「鰐工作隊は七月三一日払暁ロンベバイ湖ヤピナ島を奇襲攻撃し、該敵の拠点を覆滅せり、わが方の戦死日高少佐以下五名」敵を撤退させ、戦闘には勝利を得た。しかし日高隊長以下尊い戦死者を出した鰐工作隊員は、暗い表情におおわれてしまった。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/10 19:30
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(52)
{%爆弾webry%}終戦後、サルミでは、武器弾薬はもとより私物もぜんぶ占領軍に没収された。そして毎日、占領軍の使役に駆り出された。 昭和21年にはいると、内地送還の話が決まった。そのとき、私は高価な時計をもっていた。この時計は、ニューギニアで亡くなった日高少佐のものである。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/11 21:03
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(53)
{%爆弾webry%}二人の行方不明者の内の一人が帰ってきた。残るは小泉少尉のみだ。三日も経過してから帰還した兵がいたことで、小泉少尉生存の可能性が急浮上した。 {%上昇webry%}昭和18(1943)年10月。西部ニューギニアへ出発前の日高岩男大尉と徳野明軍曹。日高は昭和19年3月、少佐に、徳野は昭和18年12月、曹長に進級 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/12 10:51
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(54)
{%爆弾webry%}ロンベバイ湖のヤピナ島にあった連合軍水挺基地に対する日高岩男少佐率いる鰐工作隊の奇襲攻撃。第二軍(豊嶋房太郎中将))情報班から鰐機関に配属された小泉雅少尉(青山学院大学卒・陸軍予備士官学校卒)は、攻撃時に4名から成る第二班の舟艇長を務めた。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/13 12:26
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(55)
{%爆弾webry%}小泉元少尉は、『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)に収められた『第二軍情報班について』の中で、第二軍隷下の大規模な情報班編成に触れ、神機関、虎機関、自らが属した鰐機関、龍機関、梅機関等に関して詳述している。その中から、小泉元少尉が日高岩男少佐指揮下で参加したロンベバイ湖のヤピナ島攻略作戦について以下抜粋したい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/14 14:09
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(56)
{%爆弾webry%}第36師団(雪兵団)の生還者らが著した『雪第三十六師団戦誌』(関東地区雪部隊慰霊会編さん委員会編集発行・昭和63年4月30日)には、神工作隊所属ながらも、鰐工作隊の南方攻撃隊に加わった「元特務工作隊通訳」の風見秀雄氏が綴った『ヤピナ基地攻撃に加わり詠める』と題する記述がある。長い文章だが、奇襲作戦の過程を読み取ることができる情景が詳細に描かれているので、ここで再現したい。 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/15 10:29
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(57)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/16 11:01
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(58)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/17 11:32
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(59)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/18 11:12
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(60)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/19 10:48
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(61)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/20 11:46
西部ニューギニア・ロンベバイ湖ヤピナ島に瞑る日高岩男少佐(62)
{%爆弾webry%}〈元「神工作隊通訳」風見秀雄氏が詠む戦時雑詠〉 ...続きを見る
インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)
2017/03/21 19:22

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