あの超巨大津波を生き抜いた大樹が次から次へと切り倒される中、州都バンダアチェのあちらこちらににょきにょきと建立されたコンクリート製の“津波ポール”----津波がこの高さまで来ました、と告げるいわゆるメモリアルポール。2006年12月26日、津波被災二周年を機に、駐ジャカルタ日本公使によって公認された。未だテント暮らしの被災民が多数いて、基本的な生活に困る市民が溢れていた時期に、こういった一千万円もの費用を投じた“メモリアル”事業が必要だったかどうかについては不問に付すが、筆者が州都バンダアチェ市民の声を集めた限りにおいては、日本側の所期の趣旨通りには、その意義を達成しているようには見えない。そればかりか、馬力に拍車がかかってきた復興事業の影に隠れて、「そんなポールってあったの?」との市民の意識外の存在としての事実に直面する。やがて、これらの津波碑(塔)が、その建設資金を寄贈したとされる“日本国民”の願い通りの目的と効果を現す時が来るのかもしれない。しかしながら、被災三周年を間もなく向かえ、未だ計画中の、公式の津波博物館さえできていない中にあって、なんとも性急な“分かり易いが意味不明”の無償援助であった感は拭えない。 一方、東部インドネシアのアンボン島には、幹線道路沿いに、巨大な津波防災啓蒙看板が立つ。“アチェの教訓”に学ぼうとする姿がそこにはある。しかし、インドネシアの他の地域では、その“アチェの教訓”を活かそうとする努力に出会うことは稀だ。自然災害を含めて「総ては神の思し召し」との諦めにも似た感情が社会・宗教生活を律することが多いインドネシアにあっては、防災意識の向上にあたっては克服しなければならない問題も少なくない。願わくば、“津波ポール”が人々の注視を浴び、未来の災害時に役立つことだ。災害は忘れた頃にやってくる。何度もそう言われてきたのだが。 上の画像は州都バンダアチェ市内や郊外に設置された津波早期警報装置。 教育機関向けに作られた津波避難手順ポスター。「いつ津波が来ても、私たちは対処できる」と書かれた赤いリボンの下に、警察の車両に乗り込む市民の姿や、ラジオ&テレビ局からの放送、そして市内に設置された拡声器からの避難情報の光景が描かれている。 州都バンダアチェ並びに近郊の津波被災地域に、日本の援助で建てられた“津波碑(津波塔:Tugu Tsunami)”。政府開発援助(ODA)のいわゆる「草の根・人間の安全保障無償資金協力」の枠組みから978万円が支出され、地元のNGO(Yayasan Umi Abasiah)が建立にあたった。計85本。主要道路脇や、学校、モスク、州政府関連機関の敷地内などに建てられた。到達した津波の高さの、コンクリート製のポールで、一見ローソク風。モスクの尖塔に似ていないこともないが、地元の女性たちからは余り評判は良くない。『なんで、あんな形にしたのかしら?ポールじゃなくてポルノじゃない?ここアチェは敬虔なイスラム教徒が多く暮らす土地ですよ。恥ずかしくて見られないわよ』と、国立大学講師を夫に持つ主婦。 災害の教訓を風化させずに、防災教育の場として被災を後世に伝え、併せて将来の災害に備えて、避難経路の目印としての機能を持つとされる。このポールの発案者は京都大学の教授だそうだ。 市中心部の州政府投資調整局の敷地内に立つ“津波ポール” 日本人を父に持つサクラさんの自宅脇にも大きな津波ポールが立つ。サクラさんの自宅は、形は残ったが、総ての家財道具類が大波に持っていかれ、孫娘も失った(上下の画像)。 上側のプレートには、津波データが記載されている。内容は:この碑はNo.50。地震は2004年12月26日に発生。津波の高さは4.5メートル。海岸からの距離は2km。津波到達時刻はおおよそ8時25分。マグニチュード8.9の地震の25分後に到達。 下のプレートには次のような記述が。『この碑は、津波で犠牲者となった方々を追想し、将来起こるかもしれない自然災害(地震や津波)に対して、住民ことに次世代が常に警戒を怠らないために作られた。日本の人々の援助によってこの碑が建立された』---とインドネシア語とアチェ語で書かれてある 市内各所には、津波危険地帯の看板が。『地震が起きたら、直ちに海岸を離れ、高台に避難しましょう』とインドネシア語とアチェ語で書かれてある。 東部インドネシアのマルク州。アンボン島の幹線道路に、津波に対する対処を啓蒙する、大きな看板が設置されている。 津波の兆候として:大型の地震が起こり大地が揺れること、海水が海岸部から突如引いていくこと、水平線の向こうに大波が見えること、そして再び地震、大地の揺れ、などが説明されている。(注:但し、最初に突如潮が満ちてくるパターンの津波もあることについての説明がない点は少し気にかかる)安全確保の手順として:海岸を離れること、丘や山、その他の高い場所へ避難すること、警報サイレンを鳴らすこと、防災担当者の指示に従うこと、などが書かれてある。 おそらくアチェの被災の光景と思われる画像が45枚。ビジュアルに訴える手法で、防災意識の啓蒙が。【参考ブログ】 インドネシア文化宮(GBI)活動記録 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_2.html インドネシア文化宮活動記録(インドネシア語)Kegiatan GBI http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200610/article_4.html バンダアチェの樹木の運命(2) Nasib pohon2 Banda Aceh(2) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200711/article_2.html バンダアチェの樹木の運命(1) Nasib pohon2 Banda Aceh(1) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200711/article_1.html アチェ教育映画上映会のお知らせ(Pemutaran Film2 Aceh) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200710/article_1.html アチェに死す(3) Kuburan Warga Jepang di Aceh(3) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_5.html アチェに死す(2)Kuburan Warga Jepang di Aceh(2) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_4.html アチェに死す(1) Kuburan Warga Jepang di Aceh(1) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_3.html アチェで日本のドキュメンタリー&アニメ映画を上映(Pemutaran Film di Aceh) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_1.html ドキュメンタリー映画『二つの故国をつなぐ歌』がアチェで上映(Film Jepang ke Aceh) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_10.html アチェのドキュメンタリー映画上映会のお知らせ http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200705/article_4.html 映画『二つの故国をつなぐ歌』ジャカルタ上映&報告 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_6.html 映画『二つの故国をつなぐ歌』上映会のお知らせ http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_2.html 早春賦をテーマにした映画が完成しました! http://soushunfu.blog89.fc2.com/ アチェ伝統刺繍文化展のお知らせ(Pameran Budaya Sulaman Aceh) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_1.html 映像で見るアチェの今昔 http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200701/article_2.html スマトラ島沖大地震・巨大津波二周年報道写真展のお知らせ http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200612/article_7.html アチェ&早春賦(映画:二つの故国をつなぐ歌) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200702/article_2.html 2007年8月30日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された映画上映会に関する記事 http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=13&beritaid=33867 2007年4月15日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事 http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=20&beritaid=27584 2006年12月26日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事 http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=2&topik=39&beritaid=23554 2006年3月1日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙による津波記録本出版に関する記事 http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=26&beritaid=15801 2005年12月26日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事 http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=2&topik=39&beritaid=14753 2005年10月20日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたアチェ詩集本「慟哭の歌」出版に関する記事 http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=3&topik=46&beritaid=13505 2005年8月23日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙との協力関係に関する記事 http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=46&beritaid=12183 2005年8月20日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙による津波記録本出版に関する記事 http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=3&topik=20&beritaid=12116 |
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アチェ津波被災三周年企画展のお知らせ(Pameran Aceh 3 thn Tsunami)
イルワンディ州知事世界へ! 去る2月の就任以来、イルワンディ・ユスフ(Irwandi Yusuf)アチェ州知事は、海外視察が多い。9月末にはアメリカを訪れ、バイオディーゼル工場を見学。アチェの輸出産物を紹介する一方でアチェへの投資を呼びかけている(上の風刺漫画)。 ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2007/11/24 17:27 |
アチェ津波絵画&風刺漫画を義援金に(マフディ・アブドゥラ氏の作品)
インドネシア文化宮(GBI)では、2007年12月17日〜29日、『アチェ津波被災三周年企画展』を実施しますが、これに関連して、バンダアチェ在住の画家マフディ・アブドゥラ氏より、絵画作品をオークションにかけ、その売上代金を、JAN(Japan Aceh Net)を通じて、まだまだ援助の手が差し伸べられない分野の義援金として活用することを希望している旨連絡が入りました。また、最新作の風刺漫画も12枚セットでの販売を希望しています。 GBIは、同氏の志に基づいて、作品を以下の条件で販... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2007/11/29 18:43 |
インドネシア文化宮2007年活動記録(Kegiatan GBI pada tahun 2007)
2007年1月、「アチェ伝統刺繍展」準備のため、アチェ州内陸部を、州都バンダアチェから南東アチェ県のクタチャネまで縦断。各県で、伝統刺繍を種集。(上の画像は、アチェの“象の学校”の象さんたち)” ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2007/12/30 23:06 |
アチェの画家マフディさんの個展(Pameran Mahdi Abdullah di NAD)
2008年2月23日〜3月8日、アチェ人画家マフディ・アブドゥラ(Mahdi Abdullah)さんの個展が、州都バンダアチェのウレカレン地区にあるギャラリーで開催されている。マフディさんが“津波”をテーマに描いた作品は、2月初旬まで、東京・六本木の新国立美術館で行われた「アジア創造美術展」で展示されたが、今回の個展は、“津波のアチェ”から“現在のアチェ”へとテーマを変えている。あの巨大津波被災からすでに三年の歳月が過ぎた。『あの自然災害による破壊と廃墟、そして避難民の辛苦の生... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/02/28 17:48 |
アチェのサクラさんが来日・上映会&懇親会(Sakura Aceh ke Negeri Sakura)
サクラさん(左)とディーヴァちゃん ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/04/12 12:01 |
アチェのサクラさん&ディーバちゃんの日本滞在記録(1)
快晴の北アルプス。初夏を思わせる陽射し。ワサビ田の清らかな湧水。穂高川の真上を悠然と飛ぶ春の野鳥。安曇野に春が来た。穂高川右岸の堤の上に立つ「早春賦歌碑」。2008年4月29日。第25回早春賦祭りに参加するため、サクラさん、そして孫娘のディーヴァちゃんがアチェから安曇野にやってきた。「早春賦」の作詞は吉丸一昌(1873-1916)。そしてサクラさんは一昌の孫。終戦の8日前に、今日の州都バンダアチェ(旧クタラジャ)で生まれた。父は一昌の次男である池尻昌言(いけじりまさのぶ)。そし... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/05/02 19:49 |
アチェのサクラさん&ディーヴァちゃんの日本滞在記(2)Kenangan Sakura(2)
{%春webry%}「私は、この体に日本人の血が流れていることをとても誇りに思っています。私の願いは、この絆が孫の子供の世代、そしてそれ以降も、ずっとずっと続いていくことです。私と姉の間柄も、確かに戦争の犠牲と言うこともできるでしょう。でも、あの悲惨な戦争の恨みを乗り越え、血の繋がりが今こうして人間味溢れる姉妹関係を結わいだのです。日本とアチェが、日本とインドネシアが親愛の関係がさらに大きくなっていくことを願っています」----戦前を8日間、戦後を62年間生きてきたサクラさんは... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/05/04 17:01 |
アチェ西海岸ムラボの村人が首都公演(Pertunjukan SHE LAGEE di JKT)
{%拍手webry%}30年以上にも渡ってアチェの人々に暗い影を落とした紛争は、2005年8月の和平協定締結によって幕を下ろした。その重要な引き金となったのは、あの2004年12月26日に起きた、スマトラ島沖大地震そして巨大津波。紛争時代の一時期、アチェでは、たとえ隣村同士であっても、自由な往来、そして自由な集会ができないことがありました。いわんや、州都のバンダアチェを含めて、演劇公演や映画上映会なども厳しい規制を受けて、アーティストたちは“冬の時代”に直面せざるを得ません... ...続きを見る |
インドネシア文化宮 2008/06/03 18:53 |
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