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help リーダーに追加 RSS アチェに死す(1) Kuburan Warga Jepang di Aceh(1)

<<   作成日時 : 2007/09/15 13:42   >>

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州都バンダアチェの中心部、かつてアチェ王国の宮殿があったとされる地区からさほど離れていない場所に、大きな墓苑がある。地元で「Kerkhof Peutjoet」と呼ばれている。Kerkhofはオランダ語で墓地を意味する。アチェ語に転訛した呼称では、Kerkoffとなる。一方 Peutjoet(もしくはPeucut)は、アチェ語で若い皇太子を意味する。1873年〜1942年のおよそ70年間に、アチェで亡くなったオランダ人を埋葬してある。その数、約2,200名。主にKNIL(オランダ王国陸軍)そしてオランダ王国海軍の指揮官・兵士たちが眠る。
かつてアチェには約40ヶ所のオランダ人墓地があったとされるが、2004年12月の巨大津波で、そのほとんどが流失してしまった。
一般的にはオランダ人墓地として知られているが、実は、大正時代にアチェで亡くなった日本人もこの墓地に眠っている。確認しただけでもその数およそ6名。墓守のアムリさんによれば、「おそらく日本人のものとと思われる、漢字表記のお墓がさらにある」とのこと。



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この墓石には「大正6年五月XX(解読困難))アチェ日本人会、俗名柿田氏之墓 長崎縣人会」の文字が。


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「佛俗名モイ信女 大正元年拾月拾四日没 建立笠原末太郎 行年 二十X(解読困難」とある。


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おそらく津波によって倒れ、そのままになっていたと思われるこの墓石には「大正五年七月四日没 行年弐拾五才 俗名 池田竹松之墓」の文字が。


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「俗名 赤石ハマ之墓 大正X(解読困難)年七月二日没 行年十八歳 熊本縣天草郡枦字土村 繁太郎妻」の文字。


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「俗名 船崎作市之墓 大正九年六月廿九日没 行年五十九歳 熊本縣天草郡二江町字浦方郷 親戚 田口勘太郎建立」の文字


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アチェ史上、最も知られた王であるスルタン・イスカンダール・ムダ(Sultan Iskandar Muda:施政は1607-1634)の長男が処刑され、ここに埋葬されたとされている。若い皇太子を意味するアチェ語Podjoetから、当初はプジュットのお墓と称されていたが、やがて今日のようにプチュット墓地と呼ばれるようになった。


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これまで五代の州知事の下、17年間にわたって墓守をしてきたアムリさんと家族。現在、墓地はアチェ州政府文化局の管理下にある。


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墓地のゲートには「Aan onze kameraden, gevallen op het veld van eer(英語訳では:To our Comrades, fallen on the Field of Honour)」のオランダ語、アラビア語、マレー語、ジャワ語の表記がある。アチェ産大理石に刻まれた氏名は約2,200名。しかし、日本軍の侵攻(1942年3月)と軍政時代に、正確な記録が消え、正確な墓石数は不明なままだとされる。



【参考ブログ】
アチェで日本のドキュメンタリー&アニメ映画を上映(Pemutaran Film di Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200709/article_1.html

ドキュメンタリー映画『二つの故国をつなぐ歌』がアチェで上映(Film Jepang ke Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200708/article_10.html

映画『二つの故国をつなぐ歌』ジャカルタ上映&報告
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_6.html

映画『二つの故国をつなぐ歌』上映会のお知らせ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_2.html

早春賦をテーマにした映画が完成しました!
http://soushunfu.blog89.fc2.com/

アチェ伝統刺繍文化展のお知らせ(Pameran Budaya Sulaman Aceh)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200704/article_1.html

映像で見るアチェの今昔
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200701/article_2.html

スマトラ島沖大地震・巨大津波二周年報道写真展のお知らせ
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200612/article_7.html

アチェ&早春賦(映画:二つの故国をつなぐ歌)
http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200702/article_2.html

2007年8月30日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された映画上映会に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=13&beritaid=33867

2007年4月15日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=20&beritaid=27584

2006年12月26日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=2&topik=39&beritaid=23554

2006年3月1日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙による津波記録本出版に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=26&beritaid=15801

2005年12月26日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載された展示会に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=2&topik=39&beritaid=14753

2005年10月20日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたアチェ詩集本「慟哭の歌」出版に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=3&topik=46&beritaid=13505

2005年8月23日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙との協力関係に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=1&topik=46&beritaid=12183

2005年8月20日付け「Serambi Indonesia」紙に掲載されたジャパン・アチェ・ネット(JAN)と同紙による津波記録本出版に関する記事
http://www.serambinews.com/old/index.php?aksi=bacaberita&rubrik=3&topik=20&beritaid=12116



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インドネシア文化宮
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インドネシア文化宮
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インドネシア文化宮
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インドネシア文化宮
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{%拍手webry%}30年以上にも渡ってアチェの人々に暗い影を落とした紛争は、2005年8月の和平協定締結によって幕を下ろした。その重要な引き金となったのは、あの2004年12月26日に起きた、スマトラ島沖大地震そして巨大津波。紛争時代の一時期、アチェでは、たとえ隣村同士であっても、自由な往来、そして自由な集会ができないことがありました。いわんや、州都のバンダアチェを含めて、演劇公演や映画上映会なども厳しい規制を受けて、アーティストたちは“冬の時代”に直面せざるを得ません... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/06/03 18:54

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