インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)

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zoom RSS アロール島でミスコンを主催

<<   作成日時 : 2006/11/12 03:33   >>

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                            2006年度ミス・アロールに選ばれたウエルミ・ポンさん


アロールでミスコンを実施できるのかな?-----2004年8月3日〜7日の『第3回アロール・エキスポ』期間中、早くも翌年のイベント内容の構想を始めた。この年のエキスポには、旧知のイ・グデ・アルディカ観光文化相(当時)が、お供を連れて首都ジャカルタからやってきてくれた。スハルト政権下で、大臣が訪れることなどほぼ皆無だった、インドネシア国内でも最貧州と言われていたNTT(東ヌサトゥンガラ州)。そのNTT州の中でも、さらに国内的に認知度が低かったアロール県。インドネシア文化宮(GBI)と同県政府の要請に応じて、来県を快諾してくれたアルディカ大臣。県民の熱烈歓迎振りは凄まじかった。古老の一人は「生きていて良かった。この目で大臣の顔を見れたんだから。ありがたいことだ」と、涙を浮かべながら感想を述べた。
第3回エキスポでGBIは、恒例のイカット(絣)コンクールに加えて、小中高生による詩の朗読コンテストや、誰でも参加できる写真コンテストなどを提案、実施した。県民が自らの言葉で、そして自らの目を通じて、故郷をどのように描き、写し出すのかが狙いだった。前年のエキスポで、GBIは県民の“宝”であるモコ(銅鼓)の演奏と品評大会、そしてイカットを用いたファッションショーや大衆演劇コンクールを提案し、県民各層・年齢層の参加を呼びかけ、期待以上の成果をあげた。



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伝統衣装に次いで、イブニングドレスによる登板


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伝統衣装の披露。山岳地域出身の青年は、伝統的な樹皮製の衣装で登場


子供たちやイカットやソンケット織りの女性たち、そして青年層が参加する文化イベントを行ってきたが、ふと考えると、若い女性たちが参加するテーマがなかった。そこで、県が誇るイカットやソンケットを着用した女性が、エキスポを彩る参加型イベントとして“ミスコン”の可能性を県政府に提案してみた。イスラム教徒が圧倒的人口のインドネシアでは、都市部を除くと、まだまだ女性の“過剰な”エックスポーズは社会的な賛同を得ない状況にある。もちろん、GBIの狙いは、女性の美貌を品評することではない。地場産業の重要な製品であるイカットやソンケットなどの布を、これまでのように単にサルン(腰巻)やスレンダン(肩掛け)にとどまらずに、スカートやドレス、ジャケットなどの素材としての可能性を探りつつ、そしてアロール県を国内外にアピールするためのPR役としての“ミス・アロール”の誕生に期待した。
県政府の反応は、賛否両論だった。やはりイスラム・ファクター、そしてアロール独特の伝統や慣習が、その実施に否定的な見解を示した。しかし、強い味方が現れた。それは、若い女性たち自身だった。GBIの趣旨に賛同した県政府の女性職員や、地元のマスコミ関係者らが、ミスコン構想を支持してくれた。こうして、2005年8月4日〜7日に開催された第4回アロール・エキスポで初めて『第一回ミス・アロール・コンテスト(Pemilihan Putri Alor)』が正式プログラムとして採用された。ミスコン実施委員会メンバーのスリ・イナン・アナンダ・エンガさん(アロール県観光局職員)は、当時、週刊紙『Alor Pos』(Edisi 78/Thn.II 1 Agustus 2005)のインタビューを受け、「選ばれるミス・アロールの最も重要な条件は、このアロール県を熟知し、その魅力を国内外で発表することができる能力を持った女性だ」と述べている。



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日本からやってきたグループや招待客らが舞台に熱い視線を


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公正な審査を約束する宣誓書にサインした審査員たちも真剣


参加資格は唯一、アロール県生まれで、15-25歳の未婚女性。学歴や身体的な条件は一切ない。2005年のミスコンは、20名を超える応募者の中から最終選考に10名が残った。審査員は、審査委員長をGBI代表が務め、ジャカルタのタマン・ミニのNTTパビリオンのスタッフ、地元の文化人、県観光局職員、女性団体スタッフ、美容院経営者、そしてデザイナーの計7人。審査項目は極めて詳細、複雑。しかし、“美貌”に関する項目は無し。イカットやソンケットのドレスのセンスに始まり、歩き方、しゃべり方、地元に関する知識などが、質疑応答も含めて審査された。その結果、デルビンチェ・リウ・オジャ(Delvince Riwoe Odja)さん(22歳)が見事、初代ミス・アロールに選ばれた。
デルビンチェさんは、その後、県の観光PRチームの“華”として、バリ島で行われた全国観光大会や、州の観光イベントなどに参加、期待通りの職務をこなしたそうだ。そして現在は、県観光局の臨時職員として働いている。今夏、滞在しているホテルにデルビンチェさんが話がしたいと、やってきた。聞けば、昨年GBIから約束されていた優勝賞金(バリ島で一ヶ月間、アロール観光PRのためのノウハウを学ぶための費用)を、バリ旅行には使わずに、アロール県を巡る資金として使ってもいいかどうかを尋ねたっかたそうだ。「去年、県の仕事でバリへ行って痛感したんですが、自分がいかに故郷のことを知らないかって。小さな島々だけれども、このアロールには、まだまだ私が知らない魅力が溢れているような気がするの。だから、賞金は故郷を端から端まで回る費用として使いたいの」とデルビンチェさん。どこかの国のミスなんとかとは違って、ほんとにナイーブで素敵だな。



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Miss.AlorそしてMr.Alorの候補者たち。“汚染されていない”素朴さがにじむ


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審査終了後、舞台上で日本からのエキスポ参加者らと並んで記念撮影


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2005年度ミス・アロールのデルビンチェ・リウ・オジャさんと
2005年度県観光親善大使のマルギマン・ナレさん



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授賞式で司会者の紹介で舞台に登板したミス&ミスター・アロール候補者たち


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一目見ようと、ミニ・スタジアムに押し寄せた観客。



2006年8月3日〜7日に行われた第5回アロール・エキスポ。GBIは、既報の『日本のイカット(絣)&着物展』や『寿司調理講座』、そして『日本語会話短期講座』などの日本関連文化イベントを実施する傍ら、『イカット染色用の自然色100種を目指すコンクール』や前年に次いで『アロール児童絵画コンクール』、『伝統コマ競技会』などを県政府と共催した。前年大成功を収めた『ミスコン』については、第二回目の実施を考慮したが、今夏は是非、アロールの今日を作ったお年寄りたちに桧舞台を踏んでもらいたいとの願いから、『Mr.おじいさん&Mrs.おばあさんコンテスト』を提案し(そして実施し)た。ところが、現地へ行ってみると、なんと、『第2回ミス・アロール・コンテスト』が県観光局の主催で行われることになっていた。そして今回も名誉審査委員長のポストが待っていた。「昨年、実施前には反対した政府の一部幹部たちも、その大成功を目の当たりにして、ああいったミスコンならば是非今年もやろう、となったんです。そればかりかミスコンが、20種を超える文化・スポーツイベントから構成されるエキスポの、シンボル的なイベントとして認知されちゃったんですよ。地元のイカットやソンケットのファッションが直に見られて、その上、各郡選抜の可愛い娘さんが舞台に上がることで、ファッションを見たい女性たちや、そして当然ですが美人を見たい男性たちを満足させる結果になったのです」と、成功の鍵を解説するスリ・イナンさん。


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閉会式で第5回アロール・エキスポの成果を総括するGBI代表


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素足がなんとも良い!

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2005年度ミス・アロールのデルビンチェさんも二代目ミス・アロールの誕生を見守る



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                 2006年度ミス・アロールのウエルミ・ポンさん。17歳の高校生。神秘的な瞳。イカットがとても似合う


さらに、今回はミスと同時にミスター・アロール・コンテストも同時に行われることになった。最終選考に残った女性8名、そして男性4名の計12人が、出身地のイカットやソンケットで作ったロングドレスや伝統アクセサリーを着用、小休憩を挟んでの衣装直しでは、女性はイブニングドレス、そして男性はスーツ姿に変身。軽快なリズムにのって、決して広いとは言えない、県知事公邸脇にある舞台上で、パリコレ並みのステップを披露した。
ミスコンの熱気ぶりは、確かに凄まじかった。エキスポ最終日に行われた閉会式兼授賞式のメインイベントがまさにミスコンの受賞者発表式典になった。式典が行われた、市の中心部にあるミニ競技場。照明不足で薄暗い運動場。しかし、そこに数千名の観客が押し寄せた。迫り出た舞台の周辺は、目をギラギラ輝かせた男性陣。警備の警察や兵士もあちこちに。刺激的な娯楽が少ない小さな島が故に、これほどまでにも集まるのか、それともやはり“綺麗なお姉さん”は万国共通の関心事なのか。洒落た都会的なステップや、セクシーな動きに、会場からはどっと笑い声と嬌声。ミスコンは確実に市民権を得ていた。
来年の第6回アロール・エキスポ。市民権を得たミスコン&ミスターコンは間違いなく実施されるだろう。一年で一夜限りの華麗で、興奮渦巻く舞台。“モコ(銅鼓)の島”アロール。鈍い青銅の太鼓の音とともに、アロールの若者たちがアロールの未来像を主張し始めた。




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              2006年度ミスター・アロールのウンブ・デリス・ワリーさん(20歳)とミス・アロールのウエルミ・ポンさん(17歳)


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2006年度Miss.AlorとMr.Alorに賞金と記念品を手渡すGBI代表



【参考URL】


アロール島事典(日本語): http://alor.hp.infoseek.co.jp/

アロール県Website(英イ語): http://www.alor-island.com/

インドネシア文化宮:http://clik.to/GBI




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アロール県がタマンミニにパビリオンをオープン
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2007年8月限定インドネシア同行スタッフ募集
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インドネシア文化宮
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インドネシア文化宮
2007/06/21 17:00
第6回アロール県エキスポで日本の竹製品を紹介
2007年8月4日〜8日、NTT(東ヌサトゥンガラ州)のアロール県で、第6回アロール県エキスポが実施された。インドネシア文化宮(GBI)は、同エキスポの提案者として、第一回目から毎年共催者として参加している。今年の主テーマは「竹」。そこで、GBIは、日本の最先端竹グッズの紹介を通じて、竹資源の可能性を提示するため、ブースを借りて、各市町村のスタンドの一角を占めた。 現在インドネシア国内を東に西に、北へ南へと慌しく移動中のため、詳細な報告は後日、追記していきます。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
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2008年のミスコン募集情報!
2008年のミスコン募集をしているところが いくつかあります。 今回、紹介するのは、2008年のミスマガジン募集です。 2008年のミスマガジンに応募する条件は、 1月末日時に13歳から22歳の女の子であるということです。 自薦・他薦は全く問いませんが、過去に、雑誌やCM等... ...続きを見る
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青山学院大学のミスコンは、有名なので、 たいへん注目されています。 青学の「ミスター&ミス青山コンテスト2007」予選に ミス、ミスター候補各6人が登場しました。 ミス候補には、大場咲代、田中紫織、堀内梨央、本木佳奈、 田中みな実、都甲理恵、 ミスターに.... ...続きを見る
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横浜国立大学のミスコンも最近注目されはじめて います。ミスコンは、大学ごとに審査方法も かなり個性豊かです。横浜国立大学のミスコンでは、 各候補者のプロモーションビデオを制作して上映します。 結末のないオリジナルストーリーを作ってステージに 出演します。.... ...続きを見る
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明治学院大学のミスコングランプリは?
明治学院大学にもミスコンがあります。 2007年のミス明治学院は168センチの スレンダーな橋本夕実子さんに決定しました。 「2007年 第29回ミス明治学院コンテスト」 には、橋本夕実子、露木麻土香、宇尾野ゆい、 瀬田香里、松田留充子さんの5人が出場しました。 ... ...続きを見る
ミスコン 大学
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{%観覧車@(クルクル)hdeco%}【スラウェシ島絵画展】2005.9.17-2006.2.24 “スラウェシの心”をテーマに、同島の14名の画家のグループ展 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/04/19 18:03
第7回アロール・エキスポ情報(Expo Alor ke-VII)
{%海(キラキラ)hdeco%}インドネシア文化宮(GBI)が、2002年から“島興し”プロジェクトとしてNTT(東ヌサトゥンガラ州)のアロール県政府と共催している「Alor Expo」も今年で7回目を迎えます。今年のアロール・エキスポは、2008年8月6日(水)〜13日(水)の8日間を予定しています。本年は、アロール県設立50周年の節目の年にあたり、このため、これまでのエキスポを遙かに上回る大規模な文化・スポーツイベントが企画されています。 今年のメインテーマは「ゴールデン... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/07/16 13:54
第7回アロール県エキスポ画像リポート(1)Expo Alor ke-VII
【参考ブログ】 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/08/14 00:49
第7回アロール県エキスポ画像リポート(2)Expo Alor ke-VII(2)
{%打ち上げ花火(ストロボ)hdeco%}「ゴールデン・アロール(Emas Alor)2008」をメインテーマ、そして「Bersama Kita Bisa!(一緒に、我等はできる!)」をスローガンに、第7回アロール県エキスポが2008年8月6日〜13日、県都カラバヒで実施された。Sail Indonesia 2008(豪州のダーウィンからバタム島までのヨットレース)に参加した108隻の内、42隻がカラバヒ市の目の前にある真珠湾(Teluk Mutiara)に浮かび、大文化祭に国... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/08/24 13:19
ロテ島の楽器ササンドゥの運命(2) Nasib Sasando di Pulau Rote(2)
{%音符A(キラキラ)hdeco%}伝統文化の復活と保護を軸に、7年間に渡って文化祭(エキスポ)を実施してきたアロール県。最初は、伝統イカット(絣)の復活を目標にスタートしたエキスポは、やがて、手紡ぎ糸を用い、自然色で染めた伝ソンケット(縫取り織り)の復活に繋がった。伝統テキスタイル文化の復活は、各方面にポジティブな刺激をもたらした。例えば、楽器。消え去る危機に直面していた各種の竹製楽器は、2007年に行われた、竹をテーマにした第6回エキスポを機に、復活、そればかりか地元産の竹... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/08/26 10:11
ロテ島ササンドゥ物語 (1)  Sasandu, Pulau Rote, Propinsi NTT
{%音符webry%}インドネシア“最南端”のロテ島(Pulau Rote)で、世界中でそこにしかない伝統楽器ササンドゥ(Sasandu)が“消滅”の危機に瀕していることは、既報した通りですが、このササンドゥという名の楽器がどのようにして、ロテ島で生まれたのかに関する民話を入手しました。民話をまとめたのは、元ロテ第一高校の校長で、現在はロテ・ンダオ(Rote & Ndao)県の教育局長を務めるマルテン・ヘヌク(Drs. Marthen L. Henukh)さん。以下、シリーズで... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/04 18:39
ロテ島ササンドゥ物語(2) Sasandu, Rote, NTT(2)
{%音符webry%}ロテ島&ンダオ島 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/05 15:28
ロテ島ササンドゥ物語(3) Sasandu, Rote, NTT(3)
{%音符webry%}【サリサンドゥ(SARISANDU)発展の歴史】 ◎ サリサンドゥの弦の変遷 16世紀におけるサリサンドゥの状況は、民話から窺い知ることできるように、まだロテ島のナラ・ティエ(Nala Thie)地区で、限られた芸術家によってのみ愛好されていた。しかし17世紀には、現在の南西ロテ郡の中でも、ヌサック・デンカ(Nusak Dengka)、そしてウナレ(Oenale)方面や、ンダオ(Ndao)島のある北西ロテ郡へも広がっていきました。それは、その時代の世代... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/06 00:00
ロテ島ササンドゥ物語(4) Sasandu, Rote, NTT(4)
{%音符webry%}サリサンドゥとササンドゥ・ビオラの共通点と相違点 サリサンドゥの発展は滞っていましたが、19世紀初頭、この楽器は、大学で音楽を勉強した芸術家たちによって、変貌を遂げました。つまり、サリサンドゥを発展させ、現在ササンドゥ・ビオラ(Sasandu Biola)と呼ばれる“ササンドゥ(Sasandu)”を創りあげたのです。主な芸術家の一人はコーネリス・フランス(Cornelis Frans)です。 サリサンドゥとササンドゥ・ビオラには共通点と相違点があること... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/07 00:00
ロテ島ササンドゥ物語(5) Sasandu, Rote, NTT(5)
{%音符webry%}【国内でのサリサンドゥの紹介】 ほぼ廃れていた、ロテ島住民のみが所有していたサリサンドゥは現在、広く世界中で、特に国内全土でとても有名です。東ヌサトゥンガラ(NTT)州やロッテンダオ(Kabupaten Rote dan Ndao)県で今、若い世代によってこの楽器を廃れさせないための努力が続けられています。 州都クーパン(Kupang)で行われる東ヌサトゥンガラ州や県・郡レベルの地方芸術大会の催しの場に、サリサンドゥ演奏グループは必ず呼ばれています。ま... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/08 00:00
アロール島で潜る(1) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(1)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}審美眼とはそもそも相対的なもので、一番綺麗とか、二番目に綺麗などの判断は、とかく恣意的なケースが多い。そのことは人の世で言えば、ミスコンなどもそうで、なぜあの人が一位で、なぜこの人は二位なのか、個々の美意識には大差がある。いわんや、どこの海底公園が世界中で一番美しいのか?----などといった、その検証作業そのものが、天文学的な広範なエリアにまたがる場合、まず不可能だ。そこで、ちょっと謙虚な姿勢を見せつつも、実は「ここが一番に決まっている」との根... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/09 00:00
アロール島で潜る(2) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(2)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロール県政府は、過去10年間、アンス・タカラペタ(Ans Takalapeta)県知事の下、農漁村の振興による所得の底上げ、そして県文化祭の「アロール・エキスポ(Expo Alor)」を連続7年間実施することによる、アロール民族としてのアイデンティティ意識の向上、そして滑走路の拡張による観光インフラの整備などを通じて、“自立”可能な未来像を描いてきた。かつて国内の最貧州という不名誉な枕詞を甘受せざるを得なかったNTT(東ヌサトゥンガラ)州。そ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/10 00:00
アロール島で潜る(3) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(3)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}交通インフラ、殊に航空網の整備も一昔前と比べれば、各段の向上が見られる。バリ島からティモール島の州都クーパン(Kupang)経 由で、同日中に県都カラバヒ(Kalabahi)にやってくることができるようになった(注:一週間の内、3〜4日)。アロールの海に“恋した”フランス人やドイツ人のダイバーたちは、妻を説得して、アロール県に移り住み、ダイビング・リゾート施設を自己資金で立ち上げた。例えば、ケパ(Kepa)島でダイビングリゾート「la P’t... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/11 00:00
アロール島で潜る(4) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(4)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}ダイビング・リゾート地の開発は、フランス人やドイツ人などの、アロールの海底珊瑚にに“一目惚れ”した外国人ダイバーの主導で進められているが、アロール県政府もマリン・リゾート地の整備を企画している。但し、なにせ、地元の海に潜ったこともない“お役人”の考えるところで、世界の最新マーケット情報(ダイビングスポット情報、ダイバーの志向、PR方法等々)の不理解が故に、当面は、外国人投資家の後追い的な観光政策に終始している。 ダイビングスポットの開発は、や... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/12 00:00
アロール島で潜る(5) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(5)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}NTT(東ヌサトゥンガラ)州にある16県の一つであるアロール県(Kabupaten Alor)は、陸上面積が約2,865Km2。そしてその海上面積は約10,973Km2。陸面積のおよそ3.8倍もの海。しかも“世界で二番目に美しい”と言われる海底公園を有している。親犬が子犬を追いかけているような形をしたアロール島とパンタール(Pantar)島。北側にはフローレス海、南にはティモール島との間にオンバイ(Ombai)海峡が横たわる。東側は、ウェタール... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/14 00:00
アロール島で潜る(6) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(6)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロールの海底は美しい。極彩色の熱帯魚が楽しそうに散歩している。しかし、その陸上の人間社会では、過去一年余り、次の五年に向けて、喧しい政治キャンペーンが繰り広げられてきた。そしてついに11月11日、その喧騒に幕が下りた。2009年〜2014年の五年間、アロール県(Kabupaten Alor)を率いる新たな県知事が指名された。 10年間同県のトップを務め、国内で“ベスト県知事”の表彰を受けたこともあるアンス・タカラペタ(Ans Takalap... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/17 00:00
アロール島で潜る(7) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(7)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アクセスの関係で、どうしてもアロール(Alor)島西海岸とパンタール(Pantar)島東海岸との間に、南北に開いたパンタール海峡(Selat Pantar)に展開する海底公園(Taman Laut Selat Pantar)が耳目を集めがちだが、実は、アロール県には、未開発のマリンリゾート候補地がたくさんある。それらは既述したマリ(Mali)海浜、マイモル(Maimol)海浜、デレ(Deere)海浜などの、県都カラバヒ(Kalabahi)に隣接... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/18 00:00
アロール島で潜る(8) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(8)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロール本島西部のアロール・クチール(Alor Kecil)村に立つと、目の前に小さな、平らな島が見える。ケパ(Kepa)島だ。ここは、アロール県内で、外国人が初めてダイビング・リゾートを開いたロケーション。フランス人のセドリック(Sedrick)夫妻が「la P’tite Kepa」(http://www.la-petite-kepa.com/)を運営している。アロール独特の、高い四角錐の屋根を持つバンガローが立ち並ぶ。西に海峡を挟んでパンタ... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/19 00:01
アロール島で潜る(9) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(9)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロール島(Pulau Alor)とパンタール島(Pulau Pantar)の間、アロール島の西端部の沖合に小さな島がある。ケパ島(Pulau Kepa)だ。ここには、フランス人一家が経営するダイビングリゾートがある。このアロール本島のアロール・クチール(Alor Kecil)村とケパ島の間の細い水路がケパ海峡(Selat Kepa)。そしてこのケパ海峡が“アロール県七不思議の一つ”とも言われる奇妙な自然現象を起こす場所だ。ずっと昔から毎年起き... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/20 00:00
アロール島で潜る(10) Diving di Pulau Alo &Pantar, NTT(10)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロール県投資観光局(Dinas Penanaman Modal dan Pariwisata Kabupaten Alor)が“世界で二番目に美しい海”を積極的にPRする中、同県海洋水産局(Dinas Kelautan dan Perikanan)は、水産業の飛躍的発展を願ってブループリントを書き上げた。その計画書に見るアロール県の海事情は以下の通りだ。 海洋面積は約10,774km2。海岸線の総延長は約287km。養殖海面面積は約1,43... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/21 00:00
アロール島で潜る(11) Diving di Pulau Alor・ Pantar, NTT(11)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロール県海洋水産局(Dinas Kelautan dan Perikanan, Kabupaten Alor)によれば、水産資源に加え、海浜に眠る鉱物資源も、その将来性が期待されている。例えば、カラフルな石。特にアロール本島の南部海岸地帯に多く見られる、黒光りする真っ黒な小石は、かつて試験輸出で、スラバヤ経由日本へも送られたことがあるという。その他、白や茶などの石が、建設資材として有望と言う。砂鉄も、その埋蔵量は報告されていないが、アロール島... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/22 00:00
アロール島で潜る(12) Diving di Pulau Alor・ Pantar, NTT(12)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}インドネシア文化宮(GBI)は2002年以降、アロール県の“島興し”プロジェクトである「アロール県エキスポ(Expo Alor)」を、アロール県政府との共催で毎年実施してきた。それらをクロノジカルに整理すると以下の通り。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/23 17:10
アロール島の謎の壺(Priuk Ajaib Pulau Alor, NTT)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロール県(Kabupaten Alor)は不思議に満ちている。村を回ると、幾つもの“奇怪”で“摩訶不思議”な伝説や現象を耳にする。既報の「冷たい潮に浮く大量の魚」もその一つ。 (参照) アロール島で潜る(9) Diving di Pulau Alor & Pantar, NTT(9) http://grahabudayaindonesia.at.webry.info/200811/article_24.html ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/24 16:58
アロール島の謎の壺(2) (Priuk Ajaib Pulau Alor, NTT) (2)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}皮肉にも、土器に関する情報源は、この牧師によって書かれた本の中にのみ、見ることができる。自著「Uit de duisternis tothet licht(闇から光へ)」の中で、牧師は、1920年に村民が彼に話した伝説物語について詳述している。概要は以下の通りだ。 ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/25 13:19
アロールの昔の姿を画像で偲ぶ(1) Alor di masa lalu(1)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}太平洋戦争の初期、豪州と米国の“分断”を意図し、日本軍はティモール島(Pulau Timor)の占拠を実行した。同島の西半分は、当時オランダ領、そして東側がポルトガル領ティモールだった。そして、そのティモール島攻略作戦部隊は、アロール海峡(Selat Alor)を経由して同島に向かった。おそらく、これが日本軍が最初に見たアロール島(Pulau Alor)ではなかろうか。豪北一帯を占領中、日本軍はアロール本島にも進駐した。今日の県都カラバヒ(Ka... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/26 11:43
アロールの昔の姿を画像で偲ぶ(2) Alor di masa lalu(2)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロール県(Kabupaten Alor)の人口は、2005年県統計局調査で174.608人。言語は大別して18の語群を有し、さらに詳細に区別すると51の方言、22の地域語があるとも言われている。民族的には134にも分類できるとされる。小さな島々ながら、まさに“民族のるつぼ”である。他のヌサンタラ(インドネシア群島)地域と同様に、アロール県もかつて大小様々な“王国”が存在した。数十軒から成る村でも“王様(Raja・ラジャ)”がいた。とは言っても... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/27 00:00
アロールの昔の姿を画像で偲ぶ(3) Alor di masa lalu(3)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}ガリアウ島(現在のパンタール島一帯)には五つの王国があった。アロール島にクイ(Kui)、ブンガ・バリ(Bunga Bali)王国。ブラガール(Blagar)、パンダイ(Pandai)、そしてバラヌサ(Baranusa)王国がパンタール島に。海岸線に誕生したこれらの王国は、互いに交流し、そればかりか同じ先祖を持つと認識していた。 マジャパヒト王朝のMau Wolangの5人の息子が、それら五つの王国の創設者とされる。彼らはパンダイ王国で成人に。... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/28 00:00
アロールの昔の姿を画像で偲ぶ(4) Alor di masa lalu(4)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}アロールの人々に関して西欧人によって報告された最初の記述は、1522年1月8〜25日に、ピガフェッタ(Francesco Antonio Pigafetta:マゼランの世界周航に同行し, 航海記『マゼラン航海誌』を著したイタリアの旅行家)によって書かれたヴィクトリア号の航海記に見られる。船は南西アロールのプレマン(Pureman)海岸に停泊した。ヴィクトリア号とは、まさに、あの世界一周航海を成したスペイン艦隊、マゼラン(Ferdinand Ma... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/29 00:00
アロールの昔の姿を画像で偲ぶ(5) Alor di masa lalu(5)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}初代行政官のボウマン(Bouman)がアロール島に赴任していた時代、少なくない数のオランダ人公務員が送り込まれた。そして、土着信仰(アニミズム)の一掃が図られた。1908年には、ドゥロロン(Dulolong)海岸で、初めての洗礼が行われた。実施したのは、当時、アロールの人々が“白い船”と呼んでいた外国船で、カノクス(Canokus)号という名のオランダ船でやってきたドイツ人宣教師D.S.William Bachだ。洗礼を受けた二人のアロール人は... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/11/30 00:00
アロールの昔の姿を画像で偲ぶ(6) Alor di masa lalu(6)
{%夏海(チカチカ)hdeco%}1915年、バラ・ナンピラは父に代って王座に就いた。この王朝は3年間続いたが、1918年、バラはアティメラン(Atimelang)で殺された。殺害の理由は、今日でもまだ謎のままだが、この事件は、今でも多数の言語民族集団から構成されるアロール社会に、機会あるたびに、怒りを噴出させ、異なった出身母体(かつての王国の違い)の間で、対立・紛争を引き起こしてもいる。 トゥリマウ王朝下の住民だった人々(Galiau Watang Lema)は、王権移譲は... ...続きを見る
インドネシア文化宮
2008/12/01 00:00

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アロール島でミスコンを主催 インドネシア文化宮(GBI-Tokyo)/BIGLOBEウェブリブログ
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